に出て嘆く(同)
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大部分が事柄と謡との二部に分れた譬喩を持つた短い本文に続く為に使はれ、一つづゝの気分を捉へるまで漫然と語を行つてゐる。其がある語に行き当ると、急に考へが纏つて了ふ。結果から見れば、予定あつてした修辞法に見えるが、元々出任せに詞を聯《つら》ねて行くのである。だから中には紀行か物づくしのやうな物が出来て来る。此が進むと、並べて行く無意味な詞の部分々々に考へを結びつけて、終末に近づいてから思想を一貫させると言ふ風になる。日本の道行きぶり・物尽しの起原は、抑《そもそも》此処に発して居る。
的確な考へを捉へないで、而もくどい物狂ひの詞が、内容乏しく、呆けた眼に映じ、心に動く事物の介添へで、言ひ方は早いが思想はのろく移つて行く。象徴的ではあつても、要領を得ない文句である。神話の口頭文章に発した修飾法が、さう言ふ発生点を忘れても、かうした発想法を守つて居たのは、やはり考へは詞を述べる中に纏つて来るからである。三題噺その他の話術家の心持ちは、此処にあるのである。
矚目の事は、外景を叙して行く中に、段々考への焦点に入つて来る。気分は描写に転じて来たのだ。だから、一本の木の下枝・中枝・末枝と言ふ風に述べて行く。どこを船で通り、次にはどこの村が見え、其また次にはどこにつき、其先のどこへ行つたといふ風に叙述してゐる中に、描写性が語から促されて出て来る。
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ますらをが さつ矢たばさみ 立ち対ひ、射る的方《マトカタ》[#「的方《マトカタ》」に傍線]は、見るにさやけし(万葉巻一)
橘を守《モ》り部《ベ》の家の門田早稲 刈る時過ぎぬ[#「時過ぎぬ」に傍線]。来じとすらしも(万葉巻十)
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後の歌などは殊に、約束の秋即稲刈りの時節が過ぎたのに、と言ふ風に見えるが、実は「時」を起すだけなのは極端である。
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葛飾《カツシカ》の真間《マヽ》のてこな[#「てこな」に傍線]がありしかば、真間のおすひに浪も[#「真間のおすひに浪も」に傍線]とゞろに(万葉巻十四)
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此なども、耽美派の真淵は、浪さへ処女を讃へに来たと言ふ風に誤解した程であるが、唯「とゞろに」を起す為の譬喩序歌である。
かうした方法が段々簡潔になり、譬喩としての効果を確実に持つて、枕詞が定まつて来たのである。譬喩でも
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