うした宗教歴史の並行して行はれる様になつた最大の条件は、氏々の家が皆、神人の大きなものであつたといふことである。
壬生の氏々は、神人家で神を育んだ旧伝承を、新しい民俗として現実生活の上に実現した。さうして、神の子と感じるに最適した、最貴の家庭のみこ[#「みこ」に傍線]を迎へて、はぐゝみ育てた。
此形のまゝに進んで行つたとしたら、みこ[#「みこ」に傍線]のひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]となり、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]となられるに従うて、壬生として奉仕した氏の長上は、天子を輔佐する位置まで行つたであらうが、民俗と歴史とは、――その現実が、信仰に背信《コロビ》を打つたやうに、明らかに豹変した形を示してゐる。
時代毎に替るはずの壬生氏が、一々政権の首班或は其に近い位置に居るといふことがなくなつて、政柄をとる家筋は、大体に固定する傾きを見せて来た。
併し其にも繋らず、常に執柄者が、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]にとつた行き方は、一つ姿を持つてゐるのであつた。其は、我々が想像してゐる形ではなかつた。どの時代を見ても、布教者が若き神をはぐゝみ申したのと、同じ態度をとつて居る。津田左右吉さんが、「世界」第三号で、こゝの疑問を提出してゐられた。尤な話である。家庭における主人と、家おとな――うしろ見――との間柄、即、古い、幼神《ヲサナガミ》と布教者との関係を延長した民俗が、宮廷にも見られるのである。だから、朝権の薄らいだ世には、執柄家が、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]の御《ミ》名において、恣《ほしいまま》に事を行うたことも、あたまから歴史的意義のないこととは出来ないのであつた。朝政摂行の時代とも言ふべき平安時代を通じて見ても、かの古代家庭民俗を隔てゝ見ると、なる程と肯かれることが多い。
だから思ふ。藤原氏が天児屋命の後と称して居た理由も、大いに肯けるのだ。かうした形の更に古いものが、産霊《ムスビ》信仰なのだから、此信仰の分岐した姿の、産霊神を以て先祖とする考へは、幼神と布教者との関係よりも、もつと根本的なものに、還すことになると信じたのであらう。
この日本古代宗教の基礎観念が、又日本の文学以前からの、大きな一つの主題として、文学を成立させてゐる。さうして文学以後にも、大いに其を誘導する運命的なものになつて居るのである。私の文学史は、此事から、はじめるのである。
言語精霊《コトダマ》の存在を考へたのは、わが民族にとつて、極めて古い事実である。併し此が、言語信仰においての第一次のものでないことは、少くとも我が国だけでは、言ふことの出来る事実である。

      詞章に持つた信仰

神の発した神語が、絶対の効果を現ずる。其が、神に託せられて伝達する聖者の口を隔《トホ》してゞも、神自身発言するのとおなじ結果を表す。其が更に、聖者に代つて、神言を伝達する聖者の親近の人々の口を越しても、同様の効果を示す。さう信じて疑はなかつた。その信仰の下に、古代日本の神の旨は遂げられ、宮廷の命令は、遵奉せられて、政治は行はれてゐたのであつた。其には、発言した時の神の心理が、そのまゝ貴人・聖者・宮廷の近臣の心理に現ずるのであつた。ところが、後には、其々伝達者の地位・階級に拘りなく、おなじ言語効果が現ずることを器械的に考へるやうになつた。即、神の発言は、神の詞なる故に、威力を持つてゐる。其威力ある故に、何人の口を越して出ても、効果があるのだ。畢竟、言語自体が、神の威力を伝へてゐるのだとした。其が更に、単に言語その物に威力があるとするやうになつて、言語精霊を考へる様になつた。
中世になると、ある種の言語には、祝福力・呪咀力があると見、更に幸福化する力や、不幸化する力が、其言語の表面的意義と並行して現れる、と言ふ風な考へが出て来た。どの言語にも其がある、と信じた痕はないが、意義が幸不幸を強く感じさせるものには、其力があると信じるやうになつて来た。さうして其信仰の末が今に及んでゐるのである。
だがこんなのは、完全なことだま[#「ことだま」に傍点]信仰ではない。言霊は詞霊と書き改めた方が、わかり易いかも知れぬ。最小限度で言うても、句或は短文に貯蔵せられてゐる威力があり、其文詞の意義そのまゝの結果を表すもの、と考へられて居たのである。だから、其様な諺や、言ひ習《ならは》し、呪歌・呪言などに、詞霊の考へを固定させるに到る前の形を考へねばならぬ。
神の発言以来、失はず、忘れず、錯《アヤマ》たず、乱れず伝へた詞章があつた。其詞章が、伝誦者によつて唱へられる毎に、必其詞章の内容どほりの効果が現はれるものと考へられた。此が詞霊信仰であつて、其に必伴ふ条件として、若し誤り誦する時は、誤つた事の為に、詞章の中から、精霊発動して、之を罰するものとしてゐた。此は、「まがつび」の神と謂はれるものゝ、所業である。古い詞章が伝誦の間に、錯誤を教へてゐることもある筈だからとの虞れがあつて、古詞章を唱へる時、其に併せて唱へておく短章の詞句があつたやうである。其詞句の神は、誤つた詞章を誦したことに対しての懲罰を緩めて、錯誤の効果を直きに返すといふ信仰から「なほび」(直日)の神と称してゐた。此は皆ことだま[#「ことだま」に傍点]信仰の範囲にあることである。さうした少数の詞章が、次第に数を増した世の中になつても、愈《いよいよ》詞霊信仰は、盛んになつて行つた。
だから詞霊を考へることは、発言者たる神の考へが薄くなつて来た為だと言ふことを、まづ考へねばならぬのである。
時を経て、世の中は複雑味を加へ、古来伝承の神授の詞章だけでは、如何に意義を延長して考へ、象徴的な効果を予期して見ても満足出来ぬ程、神言の対象となるべき事件が、こみ入つて来る。其を、宮廷に限つて言つても、宣命や祝詞の前身たる呪詞が、非常に多くなつて来、其が次第に目的を分化し、人に聞かすもの・精霊に宣るもの・神にまをすもの・長上にまをすものなど言ふ風に、複雑多端に岐れて行つた。
だから、宣命祝詞の類の詞章が、多少古色を帯びてゐるからと言つて、之を以て、日本文学の母胎と言ふ風に考へてはならぬのである。
やごゝろおもひかね(八意思兼)の神を、祝詞神とするのは、理由のあることである。祝詞以前の古代詞章の神であつた此神は、同時に、産霊《ムスビ》の神の所産と考へられてゐた。
此神名自体が、神言詞章の数少かつた古代を、さながらに示して居る。多方面の意義を兼ねた詞章を案出した神或は、多方面に効果ある詞章を考へ出した神と謂つた意義は、この神名の近代的な理会によつても感じられる。古代的には、更に深い定義があつて、「おもふ」といふ語が、特に別の用語例を持つてゐたのだが、こゝには述べぬことにする。
ともかく此神名から見ると、神言呪詞の伝誦数が非常に少く、一詞章にして多くの場合を兼ね、意義が象徴的に示されてゐたことが察せられる。
思ふに、高皇産霊尊、威霊を神の身に結合すると、神、霊威を発して、神言を発する。而も、其神言の効果を保持する神として、思兼神が考へられた。即、神言神は、産霊神であると共に、自ら神言を製作する霊威があると考へたのである。この神と詞霊とは自《オノヅカ》ら別であり、詞霊が進んで、八意思兼となつたとは言へないのである。

      呪詞の種類

重大な神言の発せられた場合を考へると、必天孫降臨に関聯してゐる。天孫降臨は、神意を達する為に、神子が天の直下の国に降られると言ふ信仰である。神意を達するには、唯一の方法を以てした。其は、神言伝達である。神言に含まれた神の命は、伝達することによつて現れる。だから、高皇産霊尊出現、神言発現、神言伝達――天孫降臨と謂つた関聯を持つてゐる。
之を以て見ても、最古い詞章は、神授のものであり、天伝来のものと信じられた少数のものであつたことが知れる。
即、此れが、古代の表現を以てすれば、「天《アマ》つ祝詞《ノリト》」と言はれるものに相当する。天伝来の祝詞といふことである。尤のりと[#「のりと」に傍点]といふ語が、神言を表すことは、古くからの慣ひであるが、必しも平安朝初期に決定した新しい祝詞をさすものではない。其と共に平安朝祝詞――延喜式に載録せられた祝詞――の中にある天津祝詞は、必しもさうした古い伝来あるものばかりではない。唯さやうな修飾を以てある種の祝詞の尊厳や、古さを示さうとしたに過ぎなく思はれる。時には、祝詞中、呪術を行ふ際の唱へ詞を、特にさう言つたとも見えるのである。
ともかくも「天つのりと」なるものが、伝来してゐる中に、個々の場合に適切な多くの呪詞が現れたものと考へることは正しいのである。
かう言ふ信仰の為に、古代詞章が保有せられ、同時に又種々な新しい詞章が作り出された。何にしても呪詞の把持といふ事実が、詞章を時代久しく伝へ、此が類型の地となつて、多くの詞章が製作せられて来た。
此等のものは、皆口頭詞章として、諳誦によつて表現せられ、又、保持せられたものである。決して、筆によつて記録せられたものではなかつた。口誦する時に当つて、常に新しく発現する外はなかつたのである。文字を知り、記録の便利を悟るやうになつたことが、呪詞の記録を早めたといふ風に考へてはならぬ。其ばかりか却て逆に、筆録して置くことを避ける傾向が甚しかつたに違ひない。なぜならば、神言は、人の口を仮りてのみ再現せられる。其以外の方法を以てしては、表現せられることを考へなかつた時代に生産せられたものなのだから。書くことは、寧ろ冒涜だとせられたに違ひない。其よりももつと苦々しい事実は、書かれることは、人の目に触れ易くなることでもあり、神聖なる秘密の洩れる機会が多くなることでもある。其故、書かれざる詞章として、長い年代を経たに違ひない。其が種類、用途によつては、其詞章の人目に触れることを避ける必要のないものが、相当にある。宮廷や、官庁に、公式の儀式に用ゐられる詞章の如きは、常に人の耳の多い事を予期して、唱へられてゐた。だから、宮や官の「大事」に当つて、用ゐられるものは、秘すべき性質のものではない。此種のものは、相当早く筆録せられて居たに違ひない。大分遅れるが、延喜式詞章の如きは、すべて公然発表をくり返した詞章である。だから呪詞はまづ、神秘観を失つたもの、公式なものから、固定の機運が到ることになつた。中には、絶対に筆録の拒まれたものがあつて、此が天津祝詞の名を以て伝へられたのであらう。
此まで祝詞の類を分類するのに、宣下式のものと、奏上式のものとに分け、又此祝詞に対するものとして、宣命を考へてゐた。さうして別に、寿詞《ヨゴト》に注意を向けた人は、祝詞の古いものだと称してゐた。勿論祝詞に宣下・奏上両方面のあることは、固よりである。併し元来がのりと[#「のりと」に傍線]に両方面あつたのでなく、のりと[#「のりと」に傍点]の名称の範囲が拡つて後、両方面のものが、併合せられたのに過ぎない。のりと[#「のりと」に傍線]其自体の本来の形は、宣下式であつた。さうして奏上式な部分は、寿詞《ヨゴト》の本色とする所であつた。即、のりと[#「のりと」に傍線]がよごと[#「よごと」に傍線]の分担をも兼ねるやうになり、寿詞と謂はるべきものまでも、其名称を変化させる訳にいかなかつた最後の少数だけが、よごと[#「よごと」に傍線]の称へを守り遂げたまでゞある。さうした、宣命と祝詞との間の区劃は、現実に残つたものについて言ふと、祝詞は、宣下奏上両面に渉つては居るが、ともかくも神・精霊に対して言ふものである。が、聴きて[#「聴きて」に傍点]として、人を考へてゐる場合もある。だが宣命の方は、常に人を対象としてゐる。但、生者及び過去の生存者としての人である。此は恐らくまだ神格を得ぬものに言ひかけるといふ考へを持つて居るのであらう。
生者に宣ることを原則としてゐる点から見れば、国語を以て表現した詔旨といふことになる。さうして現存の宣命は、伊勢神宮及び陵墓に告げる場合の固定したものゝ外は、常に同一の詞章を用ゐたことはなかつた。必、一つ/\の事情に適合するやうに、全然新しい文章が作ら
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング