である。即、「風俗歌」・「風俗諺」の起原を明す、語部の物語である。「くにぶり」の歌及び、諺をして、威力を発揮せしめるには、其来由を説く事が必要である。其と言ふのは、長い詞章以外に既に、それの詞章の中から脱落した断篇が、古くから行はれて居た。其れの起原が神に在り、帝王に在り、英雄にあり、又は神聖な事件にあることを説いて、其語を諷誦することの効果を、増させようとするのである。語部の為事には、この意味のものがあつた事は、寧《むしろ》却て明らかな証拠がある。即、ある言語伝承に就いて、其初まりを説き証《アカ》す、即《すなはち》歌或は諺の「本縁」――背景たる事実――と言ふ事と、二方面の為事をしたものが語部で、一つは、族長及びその子弟の教養に、一つは儀礼の為に、歴史を語つたことになるのである。

      抒情詩

本縁を負ひ持つた歌・諺は、元々ある詞章から游離したものであつた。其が果して、其説く所の本縁の如く、ある語部の物語の中に、元来挿入せられて居たものか、どうかと言ふことになると、蓋然的には、事実だと言ふことが出来る。さうした事の行はれる様になつたのは、古く叙事詞章の間に、部分的に衷情を訴へ、長上の理会を求める所謂くどき[#「くどき」に傍点]式な部分が、次第に発達して来てゐたからだ。早く分離しても唱へ、或は、関係ある「本《モト》」――本縁――の詞章を忘れたものが、多く行はれる様になつた為だ。かうして、游離した歌諺が、次第に殖えて行く一方だつた訣だ。然る後、これの「本」たるべき詞章を求める努力が、遂にかうした語部の職掌の中に、一分化を起す様になつたのだ。だから、語部の物語が、古代の歌諺を必しも正しく元の形に復し、適当な本章の中に納めたとばかりは、思はれないのが多かつた。却て間違へたものが多かつたゞらう。此は、記・紀その他を見ても、歌諺と、その成立の事情を説く物語とが、ちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍線]で、緊密を欠いた場合の多いことを以ても、思はれよう。
語部の職掌はともあれ、歌及び諺に就いて考へる必要がある。歌は、其語原から見て、理会を求めて哀願し、委曲を尽して愁訴する意味を持つうたふ[#「うたふ」に傍線]と言ふ語の語根である。此にも、長い説明を加へる暇がない。唯、抒情的発想の根柢が、長上に服従を誓ふ所にあることを言ふに止める。つまり、寿詞の中から発達したものとして、歌は、寿
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