らないでゐる。其為に、と[#「と」に傍線]に就いては、種々の説がある。けれども、すべて近代の言語情調によつた合理解に過ぎない。所謂「天つ祝詞の太のりと言《ゴト》」と云ふ語を、最本格式な語として追窮して行き度い。と[#「と」に傍線]は、古代信仰に於ける儀礼の様式或は、其設備を意味する語で、結局は座と云ふ事になるらしい。即、天つ祝詞は、神聖な天上界と同じ詔詞を発する聖座の義だ。其場所を更に讃美した語が、太のりと[#「太のりと」に傍線]だ。其処に於いて宣下せられる主上の御言葉が、太のりと言[#「太のりと言」に傍線]である。だから、のりとごと[#「のりとごと」に傍線]はのりと[#「のりと」に傍線]なる語の原形で、と[#「と」に傍線]に言《コト》の聯想が加はつた為に、のりと[#「のりと」に傍線]言《ゴト》の言を略するに至つたものと思ふ。だから、祝詞自身、天子及び天つ神の所属であることは明らかだ。所謂のりと言[#「のりと言」に傍線]を略した祝詞が宣せられる場合は、天下初春となり、同時に天地の太初《ハジメ》に還るのだ。而も、此祝詞の数が次第に殖えて来るにつれて、寿詞・鎮護詞の混乱が盛んになる。だから、延喜式に於いて、かうした所属の別々なものを、一様に祝詞としてゐるのも無理はないが、同時に祝詞其物の歴史から言へば、非常に新しいものと云はねばならない。
扨、かうした祝詞が、次第に其一部を唱へることになり、其が、全体を唱へるのと同一の効果を持つもの、と見做され出して来た。中臣祓の、長くも短くも用ゐられる様なものだ。其は寿詞に於いては諺を生じ、叙事詩に於いては歌を生じて来たのと、同じ理由である。
九 諺及び歌
(一)俗諺曰、筑波峰之会[#(ニ)]、不[#レ]得[#二]娉財[#一]者、児女不[#レ]為矣。(常陸風土記)
(二)風俗諺曰、筑波岳[#(ニ)]黒雲|挂衣袖漬国《カキテコロモデヒヅチノクニ》是矣。(同じく)
斎部祝詞並びに、稀に、中臣祝詞に於いて、天つ祝詞と称するものは、祝詞を口誦する間に、挿入せられて来たものである。其部分にかゝる時には、一種の呪術を行ふことになつてゐたものらしい。だから、非常に神秘な結果を齎す詞として、人に洩らすことが禁じられて居た。本道の意味に於いては、天つ祝詞ではなく、所謂諺と称すべきものであらうと思ふ。其が後には、祝詞を称へなくても、其部分を
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