こともち」に傍線]であるよりも、先に、みこと[#「みこと」に傍線]を絶さない役をしてゐた者だ、と言ふことが出来る。つまり、宮廷以外の邑落に於いては、男の場合に刀禰《トネ》と言つてゐる。其に対して、宮廷ではひめとね[#「ひめとね」に傍線]と称してゐた。命婦に当るものであらう。其が後世になるほど、おとな[#「おとな」に傍線]と云ふ語で表されて来る様になる。

     七 上達部の意義

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故殿のおほん服の頃、六月三十日の御祓へといふ事に、いでさせ給ふべきを、職《シキ》の御曹司は、方《カタ》あしとて、官のつかさの[#「官のつかさの」に白丸傍点]朝所《アイタンドコロ》に渡らせ給へり[#「に渡らせ給へり」に白丸傍点]。……日くれて[#「日くれて」に傍点]、暗まぎれにぞ[#「暗まぎれにぞ」に傍点]、すごしたる人々皆立ちまじりて、右近の陣へ物見に出で来て、たはぶれさわぎ笑ふもあめりしを、かうはせぬことなり。上達部のつき[#「上達部のつき」に白丸傍点](着座)給ひしなどに[#「給ひしなどに」に白丸傍点]、女房どものぼり[#「女房どものぼり」に傍点]、じやう官などのゐる障子を皆うちとほし[#「じやう官などのゐる障子を皆うちとほし」に傍点]そこなひたりなど、苦しがるもあれど、きゝもいれず(枕草子)
[#ここで字下げ終わり]
前に述べた通り、上達部なる語も亦、平安朝に残留してゐたもので、これを以て、奈良朝以前の様子を窺ふことが出来る語なのだ。「かむだち」は言ふまでもなく、神館で、字に書けば、※[#「广+寺」、43−8]が当つてゐる。普通の用例を以て見れば、※[#「广+寺」、43−9]は祭りに与る人の籠る処で、民間で云へば、頭屋《トウヤ》に当る。神となる人達の籠つて、精進すべき処を云ふのだ。平安朝に於いて、かんだちめ[#「かんだちめ」に傍線]と云ふ語は、上達部と云つた字に宛てたゞけの聯想は持つてゐたに違ひないが、古代に於いては、祭時の宮廷を※[#「广+寺」、43−11]と見て、其処に詰めて居る人々だから、上達部と云つたのである。其程宮廷は、年中儀礼が多かつたのだ。後には、上達部の内容が変つて来るが、まづわれ/\の考へでは、上達部が三位以上の公卿を指す、と云ふ様な制限があつたのではなく、もつと広い範囲をさしたもので、其上に、更に、所謂おみ[#「おみ」に傍線]と称するも
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