、其中に歌・物語をも記しつけた。尚古くから引き継いだ為事で、此期に残つたものは、其等の女性は主上の御詞を其儘記録して、半公式に発布してゐる事だ。此は、古代に於ける宮廷の女官の職分を明らかに示してゐることである。此点から見れば、主上並びに大貴族には、その成長後も尚、巫女の資格から出て、後世の所謂女房になつて行くものが附いてゐて、詞を伝達即、みこともち[#「みこともち」に傍線]したのだ。女性の口及び手を経て宮廷の宣命の類が発布せられたのが、古風に違ひない。其が段々変化して、太政官其他の手を経るのが公式だ、と考へられて来た。而も其上に、一番簡単な古い形までが、後まで残つてゐたのである。
一体、呪詞の数は元極めて少なかつたと云ふ事は述べたが、世の進むにつれ、特殊な事情が恒例の儀式の上にも起つて来るし、まして臨時には、いろんな事が起つて来る。かうして、呪詞が次第に増して行く。其を主上が御出しになる場合に、みこともつ[#「みこともつ」に傍線]役は、第一義としては女であつた。後には様式変化して、文字で筆記する事になつて来、更に主上の旨を受けて、文章までも女房が作る様になつて来る。かうなつて来る径路には、常におなじ詞のくり返しをしてゐた時代の連続を考へねばならない。唯、外に対しての大きなみこと[#「みこと」に傍点]を持つ[#「持つ」に傍点]者は、男でなければならなかつたのだ。だが、其外に神代以来の儀式だと云ふ考へから、どうしても主上御躬ら仰せられねばならぬ詞がある。此方は、簡単になつて来る。此点から見ると、此章の初めに援用した女帝と志斐嫗とのかけあひの歌も、さうした女の、幼少から御成人後までおつきしてゐた事を示す様である。語部自身の詞章のうちに、呪詞も歌も諺も籠つてゐた事が考へられる。譬へば、出雲風土記にある語[#(ノ)]臣猪麻呂が、自分の娘を鰐に獲られた事に就いて、天神に祈つた事件を見れば、疑ひもなく、此は、出雲の語[#(ノ)]臣の間に伝つてゐた一種の呪詞が、段々叙事詩化して来る径路に出来たものだ、と見ることが出来る。唯、言ひ添へて置かねばならぬ事は、宮廷の組織は、旧日本の多くの邑落の儀礼と大分特殊な処がある。宮廷の習俗を以て、旧日本全体と考へるといふのは、無理である。一例を挙げれば、宮廷以外では、才の男は、多く人形であるのに、宮廷では、人間を用ゐてゐる。と同時に、語部の如きも、
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