、宮地讃美の歌ではあるが、根本に於いて東西南北の門讃美の形をとつてゐる点に、注意を要する。
ものゝふ[#「ものゝふ」に傍線]の普通の用語例には入つて来ない部族に於いても、場合によつて、ものゝふ[#「ものゝふ」に傍線]の職に当ることがあつたらしい。猿女氏の男が宮廷の守衛に当つたりする場合がそれである。
所謂斎部祝詞の中、御門祭の祝詞の如きは、かなり後世風な発想法を交じへてゐるが、此から推して窺へるのは、必、古く、物部によつて同じ系統の呪詞が用ゐられてゐた事だ。この稍古式を残してゐる詞に於いてすら、「相ひ口|会《アヘ》たまふことなく……」とあるのを見れば、相手の口誦する呪詞にうち負け、うち勝つことを問題にしてゐた事が訣る。後々までも、「物|諍《アラソ》ひ」なる語が、さうした言語詞章の上に輸贏を争うたあとを示してゐる。宮門に於いて人を改める時に、かうした呪詞のかけあひのあつたことが思はれる。又、神武天皇・饒速日[#(ノ)]命の神宝比べの物語は、其に先行してゐる呪詞の存在を思はせる。単に天神から双方に授与せられた弓矢の符合したと云ふだけではなく、宮廷を守る霊音を寓《ヤド》す弓矢の大きさ・質の同じものであつたことを主題とした、叙事的な呪詞があつたのだらう。だから、ものゝふ[#「ものゝふ」に傍線]の中心勢力が変り、弓矢の用材が変つても、依然として同じ部族・同じ兵器の名を伝へる習慣が出来て来たのだ。即、饒速日[#(ノ)]命の物語は、物部の宮廷を守る聖職の本縁を説いたもの、即、其霊力を説き示すものなのである。だから、妻えらびの場合にも、ものゝふ[#「ものゝふ」に傍線]が其主君の為に、中介の詞を発した様だ。此名告りの物諍ひに言ひ勝つ事が、其主の妻を定めることになる。一方物諍ひは、戦争をも意味してゐる。単なる口諍ひ以外に、相手の女性――各邑落の高級巫女――の奉仕する威霊との争闘を行ふ訣だ。其為に譬へば、播磨風土記に殊に多い男神・女神の結婚に関する伝説が残つた訣だ。求婚に随伴する名告りの式が、戦争開始の必須条件として後世まで残つた。此威霊同士の名告りに勝つか負けるかゞ、戦争全体の運命に関はるものと信じてゐたのだ。物部の為事を遂行するには、条件として呪詞が必要であつた。だから、当然八十氏と汎称せられた物部たちは、呪詞並びに其分化した叙事詩を伝承することが、各氏の威力を保持する所以でもあつた
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