類かの呪詞を分化して来る。併しながら、其一番初めのものに近い形と考へられてゐるのは、詔書式に見えた朝拝の詔詞よりない。而も恐らく、此が主上の御躬づから発せられる詞章として、断篇化して残つたものと思はれる。其他の詞は、宮廷神人で、主上の御代役をした神主が、代宣することになつて行つた。延喜式の祝詞――此が現在残つてゐる最古い祝詞の一群を含んでゐる、といふ点に誤りはないが、其全体並びに、固定した一部分すらも、われ/\にはそんなに古いものだとは思へない。唯、其中には、古い種も存してゐると言へるだけだ。其が、われ/\にとつて、古い呪詞を考へる唯一の手がゝりである――によると、中臣|祝詞《ノリト》と、斎部《イムベ》祝詞の二種類の区分を考へてゐたのは明らかだが、其性質から見ると、平安朝に近づくに従つて、中臣の掌る祝詞は、天子の代宣なる形を見せて来、斎部の祝詞は、天子に奏上する精霊の側の詞章から、だん/\変化して来た跡が見える。而も、例外はあるが、主として伝来の古いといふ条件を示す「天つ祝詞」と言ふ語は、斎部祝詞に属するものに見えてゐる。さすれば、祝詞に関する信仰・知識は、延喜式のものは、非常に変化した形だと云はねばならぬ。だから、われ/\が祝詞を研究するには、現存の材料を考察するだけでは、結局無駄な努力になつてしまふのだ。

     三 中語者の職分

[#ここから2字下げ]
時天照大神誨[#二]倭姫命[#一]曰、是、神風伊勢国則、常世《トコヨ》之|浪《ナミ》[#(ノ)]重浪帰国也《シキナミヨスルクニナリ》。傍国可怜国也《カタクニノウマシクニナリ》。欲[#レ]居[#二]是国[#一]。故随[#二]大神教[#一]其祠立[#二]於伊勢国[#一]。因興[#二]斎宮于五十鈴川上[#一]。是謂[#二]磯宮[#一]。則天照大神始自[#レ]天降之処也。(垂仁紀)
[#ここで字下げ終わり]
神と人間との間に立つて物を言ふ、後世の所謂中語に当る職分をしてゐた人たちには、尠くとも二通りの形のあつたことが考へられる。宮廷の尊貴な女性では、中天皇《ナカツスメラミコト》と申してゐる。即、神と神の御子なる主上との間に立つて、語をば持つ[#「持つ」に傍点]御方とするのだ。其から神なる人、主上と人間との間に立つて、同じ為事をするのが、所謂中つ臣、即、中臣である。而も、此中臣も意味広く、一氏族だけの職でなかつたの
前へ 次へ
全35ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング