「晋書」其他の講筵も開かれた様であるが、ともかく三史の尊重せられた事は言ふまでもない。其と同時に、東観撰修を標した漢紀以外にも、前に述べた二部の漢紀の、渡来してゐた事も考へられるのである。
見在書目録に二書の名の出て居る事は、平安朝初期末より前――即、公の鎖国以前――に、此等の書物の舶載せられて居た事を示して居るので、其が幾年前の事であつたかは明らかでない。年数の「幾」には、十百等の字を代入する事も出来る訣である。日本紀完成以前既に、一部の学者は、此を見てゐた事は仮想が出来る。万々此二書の渡来がなかつたとしても、帰化留学の学者・僧侶の此等の書物に就ての知識が、日本紀の題号と体裁とを生んだと考へる事は出来る。
私の、文学史を講義した経験から言ふと、奈良朝以前の漢学は、従来の学者の考へとは反対に、嵯峨朝を頂点とする平安朝のものよりは、遥かに優れてゐる。入国後、間もなく日本詞章と提携する様になつた。さうした日本化の未だ浅いだけでも、純粋が保たれたのである。官辺よりは、寺院や民間に隆《さか》んであつたのである。見在書目録がどれ程広く、其等家々の文庫を含んでゐるかゞ問題であるし、渡来後、踪跡を失
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