てゐたのではないかと考へて居た。さうでないとすれば、紀の体のみを学んで、書の有無に拘らなかつたものかと思うてもゐた。ところが、此一行の文字から、やゝ推測の方角が、かはつて来た。
右の書き方で見ると、「帝紀」と「日本書」とが、全然同一物ともとれる。又「帝紀」は、普通名詞とも言へる内容の広い物であるから、其分類のうちに、「日本書」も籠つて居たのか。「日本書」の中に、二巻の「帝紀」があつたのか。此三とほりの考へが、なり立つ訣である。
第三の考へが、一番完全に書[#「書」に白丸傍点]と言ふ名に叶うた見方と思ふ。正史の本紀にぴつたりと当てはまる点からも、其は言はれる。でなければ、あまりに「日本書」の名にふさはぬ貧弱な冊数である。尤、当時既に闕巻になつて居たと見れば、其までゞある。又筆耕の為に二巻だけを請求したとゝれぬでもないが、其ならば、今尠し小書きでもなくては、どの巻を出してよいか、訣らなかつたはずである。
帝紀と言ふ名目は、古事記・日本紀・上宮法王帝説などを古いものにして、後期王朝の物にも見えてゐる。但し、平安には、段々普通名詞化して来た痕が、著しく見える。本朝書籍目録などの分類によると、帝
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