ある事を示すもので、国家の誇りでもあり、自衛ともなつた訣なのである。
永劫に消散する事の期せられぬ疑ひは、先進国に対して、文明の変つた島の宮廷が抱いた気おくれから来たはずの、虚飾態度に対してゞある。末葉の我々の思案に能はぬものがあつたに違ひなからうと思ふ。
私の小論文で、若し決める事の出来たものがあつたとしたなら、「日本紀」あつて、「日本書紀」のなかつた事実である。さうして、日本書紀なる名は、史学の知識が自由な流動性を失ひかけた頃から、始まつた誤りらしく思はれる事である。而も其は、書[#「書」に白丸傍点]と紀[#「紀」に白丸傍点]との関係・命名法になま半可な理会を持つて居た紀伝・明経博士等のさかしらから、起つたのに相違なからうと言ふ事である。さうして、弘仁私記の序に見えた「日本書紀」の字づらを見ると、史学全盛を謳はれた弘仁度の博士たちの知識程度も凡は測られる。一知半解のもの知り顔から、半紙がみ・朱器椀など言ふにも等しい、書名の音覚えに慣れて行つたのである。漢書紀・後漢書紀など言ふ名のあり得べなくもないものとすれば、日本書紀なる名称は、慣用以外には、意味のない、と言ふ事を決定したつもりである。
従うて又、編年の日本紀に対して、正史日本書或は、其一部分の帝王本紀らしいものゝ、実在した事の輪廓だけは、書き得たことになると思ふのである。
底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「史学 第五巻第二号」
1926(大正15)年6月
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年六月「史学」第五巻第二号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年8月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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