桃の伝説
折口信夫
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)実《ナ》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
−−
「桃・栗三年、柿八年、柚は九年の花盛り」といふ諺唄がある。実《ナ》りものゝ樹としては、桃は果実を結ぶのは早い方である。
一体、桃には、魔除け・悪気ばらひの力があるものと信ぜられて来てゐる。わが国古代にも、既に、此桃の神秘な力を利用した話がある。黄泉の国に愛妻を見棄てゝ、遁れ帰られたいざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]は、後から追ひすがる黄泉醜女《ヨモツシコメ》をはらふ為に、桃の実を三つとりちぎつて、待ち受けて、投げつけた。其で、悪霊から脱れる事ができたので「今、おれを助けてくれた様に、人間たちが苦瀬《ウキセ》に墜ちて悩んだ場合にも、やはりかうして助けてやつてくれ」と、桃に言ひつけて、其名として、おほかむつみの命[#「おほかむつみの命」に傍線]といふのを下されたと伝へてゐる。
後世の学者は、桃の魔除けの力を、此神話並びに支那の雑書類に見えた桃のまぢっく[#「まぢっく」に傍線]の力から、説明しようとして居る。支那側の材料は別として、いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]の話が、桃に対する信仰の起原の説明にはなつて居ない。寧、当時すでに、桃のさうした偉力が認められてゐたので、其為に出来た説明神話と言ふべきものであらう。何故ならば、偶然取つて投げた木の実が、災ひを遠ざけたといふ話は、故意に、其偉力を利用してゐるからであり、魔物を却けようとする民俗と、幾足も隔つてはゐないからである。尠くとも、古事記・日本紀の原になつてゐる伝説の纏まつた時代、晩くとも奈良の都より百年二百年以前に、既に行はれてゐた民俗の起原を見せて居るに過ぎない。
何故こんな風習があるのか訣らぬ処から、此話は出来たのである。さすれば、其風習は、何時頃、何処で生れたものであらうか。国産か、舶来か。此が問題なのである。書物ばかりに信頼することの出来る人は、支那にかうした習慣が古くからある処から、支那の知識が古く書物をとほして伝はつたもの、と説明
次へ
全5ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング