短歌様式の発生に絡んだある疑念
折口信夫
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)聊《いささ》か
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)海|都農《ツヌ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
−−
今の世の学者が、あらゆる現象を、単純から複雑に展開してゆくものときめてかゝる考へ方は、多くの場合まちがつた結論に安住することになつてゐる。文学の場合もさうであつた。
沢村専太郎氏が、ふた昔も前に発表せられた、短歌様式の論(明治四十年頃の新小説)は、それまでの歌論の、ゆきつく処まで、ひき上してゐる。其後、友人武田祐吉も論じ、私も聊《いささ》か述べたことがある。
併、考へれば、私までが、簡単な論理に低回してゐたのであつた。
[#ここから2字下げ]
あしびきの山より出づる月まつと、人には言ひて妹[#「妹」に傍線]待つ吾を(万葉巻十二)
[#ここで字下げ終わり]
この歌は、おなじ万葉の、
[#ここから2字下げ]
もゝたらず山田の道を靡《ナミ》く藻の愛《ウツク》し配《ツマ》と語らはず別れし来れば……霊あはゞ君来ますやと……たまぼこの道来る人の亭《タ》ちとまりいかにと問はゞ答へやるたつきを知らにさにつらふ君が名言はゞ色に出でて人知りぬべみ あしびきの山より出づる月待つと人には言ひて君[#「君」に傍線]待つ吾を
反歌(略する)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から7字上げ](巻十三)
此ふたつの歌の前後は、定めにくいし、暗合と見られぬこともない。巻十二の性質上、後の長歌に対して、やゝ後世に記録せられた、と考へてもよさゝうである上に、巻十三の長歌は、進歩した、叙事脈の抒情詩である。おそらく、ある演劇としての出発点をもつた、おなじ巻の多くの組み歌――反歌を具へた長歌――とおなじ部類にはいるはずの、民謡出の采風歌だらう、と思うてゐる。大体から見て、長歌の末が独立するわけがあつて、一種の短歌となつたものと見るのが、正しいであらう。
民謡――職業伶人の謡うたものをもこめて――から出たものとすれば、説明は簡単である。流離の音楽者に謡はれた叙事詩が残していつたかたみは、最、ものゝあはれ[#「ものゝあはれ」に傍点]を思ひ知らせる部分であつたらう。
粗野な村々の祖先の心は、はじめて、芸術の齎す効果に近いものを受け
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング