く、長いものゝ沢山ある集である。其だけ、事実と即してゐるのである。若し二条系統の無刺戟に、円らかな調子が、今少し揺ぎ出し、せめて京極系統の客観態度が出て来てゐたら、もつと我々を感激させることが出来たであらうと思ふ。此集は全体として、南朝の抒情連作歌集と見てもよいであらう。
歌の師範家は、其最初から、公家武家の譏嫌《きげん》を見るのに敏かつた。定家になると一の檀那を失ふと同時に、第二の擁護者の軒に其影を現してゐた。主従関係を游離した芸道指南者の生活法が生れて来たのである。公子公女の文学顧問であつた女房の位置に、外部から入り替らうとして、隠者の一部なる入道歌人・居士学者が、其伝統を構へたのである。さうして代々、其擁護者の家に出入《でいり》して、それを高家に負うて、他の派に対抗した。定家以前は元より、以後も、六条家伝統の者や、隠者の歌人・学者があつたけれど、皆多く武家を檀那として、宮廷・公家を遠ざかつた。源光行等の系統が、其著しいものだ。さうさせたのは、定家伝統の師範家と其背景の力であつた。武家に出入りした隠者系統の者は、遂には連歌に傾くか、でなくば、事大的に宮廷の師範家の支配を受ける様にな
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