てゝゐる様子が、目に見える様なものもある。其等は技巧を弄してゐるが、そんなものにまで見える事は、恋歌通有の軽みのなくて、重くるしいことである。又、恋愛を題にして歌つたらしいものは、恋人に与へた抒情歌に比べると、非常に格が下つてゐる。やはり情熱派として天分の高い人だつたのである。たとひ其作物に、現代まで段々進んで来た標準から見ては、無条件に採ることの出来ない箇処々々が、必あるとしても、彼の恋歌は、万葉の相聞歌の大部分よりも、態度としては、純正なものになつて来てゐる。其屈折の激しい発想も、当時の公卿階級通有の拍子で、業平が其傾向を進めるに、与つて力のあつたものと見てよからう。源融・小野篁などの歌と並べて見れば、此は新様ではあるが、共通なものが認められる様である。上流の作物にはまだ、万葉の拍子が痕跡を消しきらずに居たのである。調子を張らうとする努力が、かうしたしな[#「しな」に傍点]を、姿の上に顕した訣である。
六歌仙は、形の上から見れば、万葉と古今との過渡期を示すものだが、全体としては、古今調と言うてよい程に、後者に非常に近よつて居る。六人の中、業平と並べて論じられるのは、世評のとほり、小
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