しての短歌ではなかつたのである。
大歌が短歌を標準とすると共に、短歌は唯一文学としての位置を占め得た。その為奈良の盛時までもあつたらしい宮廷詩人の為事が、辛うじて勢を盛り返して、享楽文人の手に移つて行つた。
大歌の新作は、大歌の用途が狭まつた為に無くなつたが、貴顕の参詣・願果しなどに社々の神の享ける法楽の詞曲として、短歌の新作せられるのが例であつた。東遊《あづまあそび》の歌が其である。其が、讃歌と一つに考へられて、舞踊抜きに歌だけを献じる風を生じた。此が法楽の歌で、平安の都も末になるほど、神祇歌・釈教歌の流行に連れて、益々盛んになり、数も多さを競ふやうになつて行く。
神事舞踊の曲には、替へ唱歌が、多く用意せられて居なければならなかつた。
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大原や小塩《ヲシホ》の山も、今日こそは、神代のことも、おもひ出づらめ(古今集巻十七)
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の歌も、二条后の社参に随行した在原[#(ノ)]業平の、あてつけ[#「あてつけ」に傍線]歌だと言ふ事になつてゐる。けれどもやはり、其は伝説であると思ふ。此時代にも既に、法楽の舞が献ぜられる風があつて、其詞章として召された
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