ばならなくなつてゐる。併し其には都合よく、此本に択ばれた作者の時代が一飛びに跨げてよい様になつてゐる。
[#ここから2字下げ]
末遠き若葉の芝生 うちなびき、雲雀鳴く野の 春の夕ぐれ(定家)
[#ここで字下げ終わり]
などに、如何によい暗示を含んでゐたかを見ればよい。定家の子の為家は、庸物を以て目せられてゐるが、私は彼の歌にある風格の変化を見てゐる。此が其伝統を襲《つ》いだ二条流、其から更に連歌の平凡趣味と混淆して悪化して行つた後世の堂上風を導いたのである。彼の死後分裂した二条・冷泉・京極の三流の中、前二者の流派から出たすべての勅撰集及び、多くの家集は、今日までの私の鑑賞法からは、寧、劫火の降つて整理してくれることを望んでゐる。其程、個性と輪廓とのぼやけた物が多いのである。
土岐さんの此本の第一稿は、さうした連衆の作物の検査にまで手が及んでゐた筈である。そして其結果、此本の編者なるわが友をして「あゝ、呪はれた千数百年の短歌史よ」と叫ばせ、かあど[#「かあど」に傍線]箱を投げ出さしめた。其程、今後も出るはずの幾人の忠実な研究家・鑑賞者の差別・批判の能力を衰弱せしめるに十分な類型の堆積があるのである。
其結果、すつかり態度を替へて出来上つたのが此本で、実は、土岐さんにとつては第一次の大きなむだ[#「むだ」に傍点]修業の結果である。読者諸君は、其為に大いに救はれる事になつた訣である。人物の選択については、議論もあらうけれど、其には私も責任の片棒を落してゐる。敢へて此よき友がきの上に、更に反古張りの楯を竪てる所以である。

     一一 新葉集

南朝の新葉集の値ぶみは、昔から歴史の背景を勘定に入れ過ぎてかゝつてゐるところがある。だが、二条伝統の欽定――此集は準勅撰集――歌集では、まづ殆ど、最後の飛躍を示したものと言うてよからう。後醍醐院の気魄は、技巧を経れば、後鳥羽院の其に達するであらう。藤原師賢の叙事と抒情との調和――やゝ感傷に過ぎるが――した態度は、此集の後世から与へられた値うちづけの第一の目安らしいが、彼は確かに成功した作物を残した。此集になつて自叙伝歌集の態度が、明らかに復活して来たのであつた。其中、殊に個性の明らかなのは、何と言うても、後村上天皇であらう。表現の的確さは乏しいけれども、がら[#「がら」に傍点]の極めて大きな歌口である。
新葉集は、詞書きの殊に多
前へ 次へ
全32ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング