分の贈答や述懐の短歌の製作動機を、あはれに書く風が出来た。かうした例には、或は他人が書いたのかと思はれるほど、脚色が加つてゐるのさへ見える。多くは事件に客観が出来ない処から、自身書きながら、事実を修飾・誇張して、物語風にしたてゝ了うたのである。
而もものゝあはれ[#「ものゝあはれ」に傍線]を知り、色をこのむ[#「色をこのむ」に傍線]――好もしい状態に男女関係を処理すること――のが、紳士・淑女の理想主義とせられた時代である。で、かうした小説と記録との間を行く抒情式な日記を書いた者及び其書き物は、宮廷生活の間にもてはやされたのである。此態度は、短歌集の中にも入りこんで来た。女房の歌集に見えた「はしがき」に、後人のは固よりだが、当人自身の潤色・見てくれを交へてゐることは考へてかゝらねばならぬ。私は平安京の中期以後の歌集殊に女房歌集から、個人の伝記を引き出さうとすることに、危さを感じてゐる。「はしがき」にあはれ[#「あはれ」に傍線]を競ひ、単なる座興のかけあひ[#「かけあひ」に傍線]をも有意義化したものが、必あるであらう。前にも述べた和泉式部の歌集をはじめ、さうした色あひは、大なり小なり見えるのである。
こゝに自然と起つて来るのは、文学動機の洗煉である。印象の再現若しくは、空想の具体化能力や、技巧の近接努力が進んで来る。叙事詩化し、心理の表現よりも描写に傾くが、ともかくも発生以来わるい道を通つて来た日本の抒情詩は、業平・小町につけられた方角から、活路を見つけ出した訣であつた。和泉式部の様な情熱家の作物は、さすがに不純を一挙に捲き飛した佳作が尠くない。内生活から、美化するに足るものを見出す様に向いて来てゐるのである。唯、女房歌集は、全体を叙事的連作歌集として味うて行くのが、ほんとうの見方ではなからうかと思ふ。
かうして展開して来た女房歌、其影響を受けた抒情詩は、緻密な感情の写実をする様になつて行つた。俊成女・式子内親王に代表せられた平安末・鎌倉初めの恋を主題とした歌である。だが其にも、語又は句の上から部分的に放射する情調によつて、しなやかで、ねばり強く、美しくて、纏綿する様に、技巧が積まれてゐた。それによつて、叙事式表現の上に気分効果を添へようとしたのである。語句の持つ聯想や、音韻の弾力を、極度まで利用してゐるのだ。併し、かけ語・縁語・枕詞・序歌・本歌などで、幻象を畳み絡める
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