照を怠つた為に、作者の小主観を表すわれながら[#「われながら」に傍点]といふ、不快な口語脈が混入して来たのである。(六)[#「(六)」は縦中横]口語を用ゐる以上は、これまでの文語では表し了せなかつた、曲折・気分を表さなければならぬ。白秋氏の場合にかあゆくなるの[#「かあゆくなるの」に傍点]が遊戯的に聞えるのは、単に新しい刺戟を求めたゞけに止つて、特殊の発想法を要求してゐなかつたからである。「アラヽギ」同人が、近年口語から発見して来た、不可抗力を表はす「――ねば・ならねば」などは貴い収穫である。とはいへ事実、この古典的な詩形に、ある革命を起さうとするのであるから、単なる内容の改革のやうな苦悶には止らない。それに較べては、単に材料を提供するばかりではなく、其材料をどう取り扱ふかを問題にしてゐるのであるから、その困難は尋常一様なことではない。言ひ換へれば、一々の場合に深く観照して適切な発想法を捉へなければならないのである。
明治の新派和歌では、服部躬治氏の試みられた安房歌(「迦具土」)が此種の最初のものであらうが、全体的に生命が律動してゐない。又此と反対に、子規氏は通常語から文語に直訳を試み
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