短歌の口語的発想
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大凡《おほよそ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)です[#「です」に傍点]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)数[#(个)]条

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
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短歌に口語をとり入れることは、随分久しい問題である。さうして今に、何の解決もつかずに、残されてゐる。
一体どの時代でも、歌が型に這入つて来ると、大抵は珍しい語に逃げ道を求めた。形式の刺戟によつて、一時を糊塗しようとするのである。若しわれ/\が、文献に現れた死語・古語の中から、当時に於ける口語・文語が択り分けられるとしたならば、必、多くの口語的発想を見出すことが出来ようと思ふが、今日では容易な仕事ではなくなつてゐる。散木弃歌集あたりには、それでも多くの口語を見ることが出来る。実は、この話の最初に歴史的に見た、口語と文語との限界に就いて、予め述べておかねばならない筈なのであつた。何時の時代にも、文語と口語との区別は、大凡《おほよそ》立つてゐた事なので、たゞそれが、今日ほど甚しくはなくて、幾分互ひに譲歩しあふ事があつたといふばかりで、今の人の考へるやうに、口語その儘を筆録したのが、直に文語とならない事は、今日の口語文を見ても知れるであらう。二葉亭や美妙斎の大胆な試みに過ぎなかつた時代から見れば、今日の口語文は、確に一種の形式を備へたものになつて来てゐる。多くの人は、です[#「です」に傍点]、だ[#「だ」に傍点]を会話語として、文章語としてはである[#「である」に傍点]を使うてゐる。よく/\、修辞上の必要のある場合の外は、のつけに[#「のつけに」に傍点]とは言はないで、最初に[#「最初に」に傍点]といふ。かうして現代語の中にも、幾分、硬化しかけてゐる正確な語を、文章語にむけてゐるのである。
これまでの研究でも時間の助動詞つ[#「つ」に傍点]・き[#「き」に傍点]はぬ[#「ぬ」に傍点]・けり[#「けり」に傍点]と較べて、会話的要素の多いものとせられてゐる。俊頼などが口語を取り容れてゐる、というたところで、名詞に止つてゐるので、一つの短歌の全体の発想には、大した影響を持つてゐないものである。西行あたりになると、まゝ、会話語と文章語との判
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