は信じられない。又、先進日本の能・歌舞妓が、島の宮廷の式楽に飜作せられたものとも思はれない。さうした「忽然」を考へる事の、不都合な幾多の例蹤を、私は見てゐる。猿楽能の、元曲から案出せられたものとする説などが、其である。縷説は避けるであらう。が尠くとも、長い種族生活過程の顧みを閑却したもの、と言ふことは出来る。
首里宮廷を考へるのに、京都の禁裡を思ひ浮べてはならない。又、江戸柳営を頭に置いても、比論は成り立ち難い。まづ大々名の家庭に、将軍家の生活気分を加味した位の考へ方が、ほんとうだらうと思ふ。其ほど、気易い処があつたのを思はねば、民間風と、宮廷風との交渉ぐあひが、察せられない。離宮に作つた瓢を、那覇の市に売り出して、王様瓢《ワウガナシチブル》の名を伝へた王もある。城内に大穴を穿つて、そこに優人を喚んで、遊楽に耽つた城人《グスクンチユ》なる、大奥の女中めいたものもあつた。かう言つた宮廷と、里方との交渉は、首里の芸能と、地方《ムラ》の民俗芸術との間に、相互作用を容易ならしめたのである。
宮廷において、王の為に、楽を奏し技を行ふ事を、貴族・士分の副職分といふ様に考へ、男の芸能に精出して、上流
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