れる。又、やまと[#「やまと」に傍線]の演劇の筋に酷似した、固有の狂言や、説話のあるのを、誇りに感じた事もあらう。其場合、改作・新作の脚色は、どうしても、之にひきつけられて行つた、と言ふ事があるに違ひない。
要するに、能の影響は、組踊りの純化に役立つた位で、能を移したものではない。謡曲は、組踊り詞章の整頓欲を刺戟したが、演出法の差異が、此を模倣しきる事の出来ない事を示した。歌舞妓芝居との関係は、その若衆歌舞妓時代の影響らしいものが感ぜられるが、此とても、女形の存在や、紫鉢巻の起す幻想に過ぎない様に思ふ。歌舞妓との交渉の深い点は、既に述べた通り、歌舞妓踊り時代のものに在る。唯、小唄念仏の踊りが、固定した歌舞妓と認められた後に、渡つたものとは考へられぬのである。其前の渾沌時代に、念仏者か、島人かの手によつて、組唄《クミ》の踊りとして移されたものだ、と私は考へるのである。
七
役者に女形のあることも、念仏者の踊りを習得した、士分以上の人々が、踊つた為であつた。女のあそび[#「あそび」に傍線]は、祭時には勿論、饗宴にも、巫女としての資格で行ふのであつた。其以外、享楽に利用する事は
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