られたものが、組踊りなのである。
飜つて、おもろ[#「おもろ」に傍線]の託遊について考へても、歴史上の事実らしいものを感じさせる内容のあるものには、次第に、多少の表出らしいものを、加へて来ねばならぬ素地がある。併し、さうした方向に趣かずに、堅く無表出を守つてゐたのが、託遊であらう。此が多少、詞章の意識を持つと、舞踊劇としての道が開ける。おもろ[#「おもろ」に傍線]――あそび[#「あそび」に傍線]を伴ふ――に次ぐものは、概念的には――沖縄の用例から見れば、複雑な考へはなり立たうが――こいな[#「こいな」に傍線]とあやご[#「あやご」に傍線]とに分れるだらう。一つは、祝意をこめた詞章と其群舞、一つは叙事詩によつて、――信仰的の意義を忘れた――多少ふり[#「ふり」に傍線]を交へ、又其を忘れた歌詞である。
あやご[#「あやご」に傍線]は、今は宮古島にのみ栄えて、外には衰へたが、此は、小曲の琉歌の抒情気分が、古風な叙事詩を征服した為である。あやご[#「あやご」に傍線]は、叙事を本位としても、無表情である。琉歌は、其成立の歴史を思ふ時、直に其作者の感激が、胸に生きて来る。おもろ[#「おもろ」に傍線
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