]からあやご[#「あやご」に傍線]に展開しなかつた間切・村には、伝説を背景としたふし[#「ふし」に傍線](風)が、古人の情念を伝へるものと信じて、歌舞せられた。此ふし[#「ふし」に傍線]が次第に、琉歌形式に統一せられて行つた。あやご[#「あやご」に傍線]風に傾けば、物語歌の伴奏とも言ふべき曲節を表現する、ふりごと[#「ふりごと」に傍線]となつたらうが、琉歌を原則とする様になつたので、抒情的な気分を加へて行つたのである。

     四

村をどりの古い形式のものと、間切・村のふし[#「ふし」に傍線]との関係を説いたが、さうした儀礼に行はれた舞踊が、其まゝ独自の発達を遂げたものであらうか。私は用意しておいた、念仏及び能・歌舞妓の影響を、説く機会に達した。
舞踊としての鑑賞や、細部の研究は、外にふさはしい方々がある。南島本来の式と、やまと[#「やまと」に傍線]のまひ[#「まひ」に傍線]の要素とが混淆してゐる事だけは、私にも言へると思ふ。沖縄のをどり[#「をどり」に傍線]と言ふ語は、やまと[#「やまと」に傍点]伝来の舞踏を意味したのが、語原らしい。従つて其踊りの、やまと[#「やまと」に傍線]に於ける評価以上に尊重して、本格の芸と見たのであらう。くみ[#「くみ」に傍線]の踊りが、その後渡来すると、やはり珍重して、組踊りを最高の踊りとした様なものである。
琉球の踊りは、概して、やまと[#「やまと」に傍線]の緩かな舞ひを、南島流の早間に踊るものである。等しく踊りと言うても、間を緩かにするものが上品だ、と考へられたらしく、さうしたものが、次第に殖えて行つたのであらう。あそび[#「あそび」に傍線]は神事、をどり[#「をどり」に傍線]は芸事と言つた区劃が、出来たのらしい。だが、此はやまと[#「やまと」に傍線]の検校流の奏楽法や、楽器などゝ共に、伝へた後のものが多からう。其以外、古く這入つた千秋万歳のことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]系統に属するものが、極めて多く残つてゐる。其等は皆やまと[#「やまと」に傍線]の万歳に見られぬ程の早さながら、日本の舞ひぶりが、其基調になつてゐる事は、其服装以上に、明らかである。
念仏聖の念仏踊りや、万歳舞ひを見た事は、島人の踊りの上の、非常な擾乱であつた。茲に琉球の踊りは、在来の託遊式のあそび[#「あそび」に傍線]に近く、而もある観念と、感情とを備へたも
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