しぐさ[#「しぐさ」に傍線]・ふりごと[#「ふりごと」に傍線]を採用するには、困難な事情が考へられる。宮廷や、按司一族との交渉が尠ければ、狂言の方の要素が、濃くなつたらう。さうすると、科白に伴ふ動作表情を主とする劇が、出来るはずであつた。だが、さうは進まないで、歌謡と不即不離の、舞踊劇の方に趨いた。
演劇的組織の基本になるものは、有力な登場者の名のりにはじまつて、更に、あど役との対話に移り、所作あつて後、退場といふ形式である。此だけが備つて居れば、いくらでも複雑化して、劇の姿を構成して行く事が出来るのである。日本の芸能は、大なり小なり、此形だけは保つてゐる。沖縄でいふと、長者の大主・親雲上その他の控へた座へ、儀来の大主の臨んで、科白所作あつて去る形である。
巫女の託遊したあそび[#「あそび」に傍線]ばかりからは、組踊りの成立の過程は思はれない。村踊りが、組踊りの基礎をなしてゐると考へる。組踊りは、以前狂言と謂はれた事もある。此は、村踊りから、発生したものなる事を示す。だから、村踊りから出て、宮廷舞踊として行はれたふし[#「ふし」に傍線]が、実は、村をどりの間に発達した如く、其複合組織せられたものが、組踊りなのである。
飜つて、おもろ[#「おもろ」に傍線]の託遊について考へても、歴史上の事実らしいものを感じさせる内容のあるものには、次第に、多少の表出らしいものを、加へて来ねばならぬ素地がある。併し、さうした方向に趣かずに、堅く無表出を守つてゐたのが、託遊であらう。此が多少、詞章の意識を持つと、舞踊劇としての道が開ける。おもろ[#「おもろ」に傍線]――あそび[#「あそび」に傍線]を伴ふ――に次ぐものは、概念的には――沖縄の用例から見れば、複雑な考へはなり立たうが――こいな[#「こいな」に傍線]とあやご[#「あやご」に傍線]とに分れるだらう。一つは、祝意をこめた詞章と其群舞、一つは叙事詩によつて、――信仰的の意義を忘れた――多少ふり[#「ふり」に傍線]を交へ、又其を忘れた歌詞である。
あやご[#「あやご」に傍線]は、今は宮古島にのみ栄えて、外には衰へたが、此は、小曲の琉歌の抒情気分が、古風な叙事詩を征服した為である。あやご[#「あやご」に傍線]は、叙事を本位としても、無表情である。琉歌は、其成立の歴史を思ふ時、直に其作者の感激が、胸に生きて来る。おもろ[#「おもろ」に傍線
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