て居るが、昔は、神の威力ある詞を精霊に言ひ聞かせると、詞の威力で、言ふ通りの結果を生じて来る、と信じて居た。此土地の精霊は、神の詞を伝へられると、其とほりにせねばならぬのである。貴い方が、神の詞を伝へると、其通りの結果を生じたのである。此が、まつる[#「まつる」に傍線]といふ事で、又|食国《ヲスクニ》のまつりごと[#「まつりごと」に傍線]である。
私は、祭政一致といふ事は、まつりごと[#「まつりごと」に傍線]が先で、其まつりごと[#「まつりごと」に傍線]の結果の報告祭が、まつり[#「まつり」に傍線]であると考へて居る。祭りは、第二義的なものである。神又は天子様の仰せを伝へる事が、第一義である。処が、天子様は、天つ神の詞を伝へるし、又天子様のお詞を伝へ申す人がある。そして又、此天子様の代理者の詞を伝へる人がある。かうして段々、上から下へ、と伝へる人がある。此天子様のお詞を伝へる人をまつりごと人[#「まつりごと人」に傍線]といふ。日本紀には、大夫・宰等の文字が宛てゝある。此大夫や宰は、高い位置の官吏ではないのに、何故まつりごと人[#「まつりごと人」に傍線]などいふ、尊い名称で呼ばれるか。此
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