のである。
さて、大嘗宮は、柴垣の中に、悠紀・主基の二殿を拵へてあつて、南北に門がある。天子様は、まづ悠紀殿へ出御なされて、其所の式をすませ、次に主基殿へお出でなされる。古来の習慣から見ると、悠紀殿が主で、主基殿は第二義の様である。すき[#「すき」に傍線]は、次[#「次」に傍線]といふ意だと言はれて居る。悠紀のゆ[#「ゆ」に傍線]は斎む[#「斎む」に傍線]・いむ[#「いむ」に傍線]などの意のゆ[#「ゆ」に傍線]で、き[#「き」に傍線]は何か訣らぬ。そして、ゆき[#「ゆき」に傍線]・すき[#「すき」に傍線]となぜ二つこしらへるのか、其も訣らぬ。だが、大体に於て、推定は出来る。
日本全国を二つに分けて、代表者として、二国を撰定し、其二国から、大嘗祭に必要な品物をすべて、持つて来させて、この二殿で、天子様が御祭りをなされる。昔は或は、宮廷の領分の国の数だけ、悠紀・主基に相当する御殿を建てたものかも知れぬ。そして、天子様が大きなお祭りをせられたのかも知れぬ。そして、此御祭りの中に、いろ/\の信仰行事が取り込まれて来て、天子様の復活祭をも行はれる様になつたのであらうと思ふ。
天子様は、悠紀・主基
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