まと」に傍線]と言うたか、といふ事は訣らぬ。戦争で領土が拡まつた、といふ考へのみでは、説明は出来ぬ。
又、続日本紀を見ると、天子様は、御代初めに、何か仰せ言を下される時に、大倭根子何々天皇、と最初に言ひ出される。古事記にも、日本紀にもある。「根子」の古い例は、山背根子・難波根子等である。根子は、神主・君主といふ事である。昔は、神主は即、君主であつた。大倭根子といふと、大倭の地方全体の神事を司る人即、君主といふことになるのである。後には、日本全体の祭主、即君主との意味になつて来た。かうした天子様のお言葉も、古い時代は、口頭で言はれたが、奈良朝頃から、文書に書いてやられる事が行はれた。此を宣命といふ。此宣命が、飛鳥[#(ノ)]宮の末頃からは、文書の形式が定まる様になり、天皇御即位の年の、春の初めには、必、宣命をお下しなされた。後になつて、御即位の式と、朝賀の式とが分れても、両方共に、仰せられるお言葉は、似たものである。
宮廷の儀式をみると、春の儀式と、即位式と沢山、似た処がある。昔から、即位式と、大嘗祭とは同じだ、といふ学者は、沢山ある。昔は必、同一な者であつたと思ふ。そして、此式が春行は
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