様のお血筋や、外戚の陵墓にも奉る。此を荷前《ノサキ》といふ。
約言すると、地方から、宮廷へ奉る処の稲の初穂を、九月に入つて、伊勢へ奉るのを神嘗といひ、其他の神々又は、大きな社に奉るのを相嘗と言ひ、陵墓に奉るのを荷前《ノサキ》と言ふのである。何れも、新嘗祭と前後して行はれたのである。本来は、神に奉るのは相嘗と云ひ、其以下の神で、而も天子様の尊敬する神、又は、天子様の御血つゞきの方に差し上げるのを荷前、と言うたのである。
此等の行事が済んだ後で、新嘗祭が行はれたのだ。新嘗祭は正式には、十二月の中の卯の日に行はれたのである。此処で問題となるのは、卯の日といふ干支を用ゐる事が、果して、古代からあつたかどうか、と言ふ事である。現在知り得る範囲では、日を数へる事よりは、干支を数へる暦法の方が古い、と云へよう。尠くも、支那の古い暦法を伝へた漢人種や、朝鮮人種が、天孫民族と同時に、或はそれ以前に、渡来して居た事は事実である。
新嘗祭其他、すべての行事をするのに、干支に依つて定められる以前は、占ひによつてきめた。此がいつの間にか、干支に依つて、定められるやうになつたのである。かうして日を定めて、十一月の
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