]命は又、お尋ねした。然らば、其を得るには、如何致したらよろしうございますか、と問ふと、天神は、玉串をお授けになつて、言はるゝ事に、此玉串を地上に立てゝ、夕日の時から、朝日の照り栄える時まで、天つ祝詞と太祝詞を申せ。かく申せば、その祝詞の効力に依つて、直に兆象が顕れる。そして若蒜が五百個、篁の如く生える。そこを掘つて見ると、天の八井が湧く。その水をとつて奉れ、と教へられた。だから、此をおあがりなさいませといふ。
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つまり、中臣としての聖職の歴史を申し上げるのである。此縁故・来歴によつて、悠紀・主基の地方の米に、天つ水をまぜて、御飯を炊き、お酒をこしらへて、天皇に差し上げる。此をお召しあがりなされると、天子様は健康を増し、弥栄えに栄えられるのである。
中臣家は、水の事を司る家筋である。だから、天子様の御湯殿にも、仕へる。そこからして、后が出る事にもなる。つまり中臣は、水の魂を天子様に差し上げる聖職の家である。言ひ換へれば、中臣の家は、水の魂によつて生活して居る家筋である。其故、水の魂を、天子様に差し上げるといふ事は、自分の魂を差し上げる事になる。中臣は、群臣を代表して居るから、他の臣たちのも、此意味で、各々の家筋の魂を天子様に奉る事になる。昔は、神事と家系とは、切り離す事の出来ぬ、深い/\関係があつたのである。
譬へば、大伴家にしても、本来は、宮廷の御門を守つた家筋である。一体「伴」といふのは、何にてもあれ、宮廷に属して居るものをいふ語であつて、大伴は御門の番人である。記・紀を見ると、門の神をば、大苫部と言うて居る処がある。大苫部と大伴部とはおなじで、門をお預りして居る役人といふ事である。後世は、かういふ職の役人も増して来て、物部の家筋の者も、御門の番人となつて来た。そこで、門部の発達をも見る様になつた。平安朝では、大伴は単に、伴というて居る。
大嘗祭の時に、悠紀・主基の御殿の垣を守る為に、伴部の人と、門部の人とが出る。此は両者同一な役を勤めるが、元来は、異つた系統の者である。此等の御門の番人は、元来は或呪言を以て、外来の悪い魂を退けたのである。此等の家筋の頭をば、伴造と云ひ、其部下の者をば、伴部又は部曲というて居る。此頭即、伴造は、種々あるが、神主の地位に居たのであつた。神主たる職業を以て、天子様に仕へて居た。此者達が、後には官吏化して、近衛
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