れるものだ、と考へられる様になつた。
さて、春といふ語の本義が、不明である。草木の芽が発する事を「はる」といふ処から言ふのだ、と言はれて居るが、ほんとうの事は訣らぬ。其他、いろ/\と言はれて居るが、不明である。そして、春といふ用語例の、古い処も訣らぬ。何にしても、はるかす[#「はるかす」に傍線]・はるく[#「はるく」に傍線]・はる[#「はる」に傍線]など考へて見ると、開けるといふ意味があるらしい。
今此処で、民間の春の行事からして、宮廷の春の行事を考へて見る事にする。俳句の歳事記を見ると、逆簑岡見といふ事がある。此は、大晦日の夜、簑を逆に着て、小高い所へ上つて四方を見ると、来年一年の村の吉凶・五穀の豊凶等、万事が見えるといふのである。此風習は、春の前に当つて、山の尾根伝ひに、村を祝福しに来た、神のあつた事を語るものである。
日本では、簑は、人間でないしるし[#「しるし」に傍点]に着るものである。処が、百姓は簑を着るが、此は、五月の神事の風習が便利だから、其神事の風を真似て了うたのである。すさのをの[#「すさのをの」に傍線]命は、千位置戸を負はせられて、爪をぬかれ、髪を抜かれ、涙も唾も痰も皆とられて、為方が無いから、青草を束ねて簑として、下つたと言うて居るし、奈良朝以前の風習と思ふが、簑を着て人の家に這入ると、這入つた人から、科料を取るといふ事もある。此は、簑は神の着るもので、神が来ると、祓へをしなければならぬから、其入費を科するのである。簑について神が来るので、簑を着て来る人から、入費をとるのである。今でも、民間には、人の家へ簑を着て行く時は、必、外でぬいで這入れ、というて居る。
又、前の岡見の話に還るが、高い山から、里に近い岡の上に神が来て、村人の為に、来年の様子を言うてくれた。此は、大晦日の夜から、明け方にかけてのことである。此風が替つて、今度は里人が神になつて、簑をきて、岡へ上つて行つた。こんな習慣が固定して出来たのである。神のやつてくれたのを、人間がやる様になり、神の祝福の語からして、人間がやつて見ても訣る、といふ風に変つて来たものである。
考へて見ると、ににぎの[#「ににぎの」に傍線]尊も、山の尾根伝ひに、降臨されて居る。一体、日本へ来られた神々は、皆高い所から、山の尾根伝ひに下つて来られて居る。此信仰上の事実が、今でも国々村々には、ざらに残つて居る。
処
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