、古くから可なり深く信じられてゐた。此月を祭り月とするのは、旁、意義のあることであつた。
神社以前・以後で、祭りの様子も変つてゐる。後の方のは、祭りの日どりが大体きまつて来て、特殊な由緒を日どりに繋げて説く様になつて来る。極めて古くからのものであつても、段々祭り日を定める必要が起つて来た。さう言ふ時代に、新しく起つた神社がしたのとおなじ方法をとる事になつた。月を定めて、日は十干によるのが、其である。古代からの自由な祭祀も、稍古い神社祭事も、大抵此方法を採用してゐる。
だが、干支を用ゐ出したのも、先住・帰化の漢人などから習慣としてとりこんだ事を思ふと、極めて古いに違ひない。が、今一つ前の形は、占ひによつて定めるか、天体の運行をめど[#「めど」に傍線]として行うたらしい。さうした俤は、後に日どりの一定せられた幾つかの祭りから窺ふ事が出来る。道教の先覚者だけが、暦を悟る事が出来、其考へ次第に動いてゐた時代には、春祭りを行うた為に春になつた。また、冬祭りが冬の窮まつた事を規定した。
八 冬祭り・春祭り
此を見ても、村々の秋の祭りは新嘗から出て居り、其が神嘗祭の日に近く、荷前《ノザキ》の初穂の一
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