はりあひもない様に、ぢつと表の人通りを多いの少いのと噂しあうてゐる。
早稲の作りはじめられた理由の一つには、恐らく此考へはあつたらう。田の豊凶を早く物に顕して見たい。さうして又、海の彼方か、山の奥か、但しは天の原から来る村の守り主のお目にかけねばならなかつた。初春に来てくれ、田植ゑ時にも遥々やつて来て下さつた村の守り主は、稲の出来ばえを見たがつてゐるはずである。此早稲の飯も、やはり贄《ニヘ》である。
贄をたべに神なるまれびと[#「まれびと」に傍線]の来てゐる間は、特定の人の外は、家に居る事が許されなかつた。家族は、皆外に避けて、海河で禊ぎをしてゐる処もあり、ある建て物に集り、籠つたり、簡単にすむ処では、表へ出てゐるだけの作法など、村それ/″\の為来りが、細部では必違うて居た事であらう。奈良朝の東国では、既に伝説化し、劇的な民謡の材料とまで固定してゐたが、やはり、ある部分では行うてゐたらしい伝承がある。早稲の贄を饗応する為の斎《イ》みだから、「贄へ斎み」の義で、にひなめ[#「にひなめ」に傍線]・にふなみ[#「にふなみ」に傍線]・にへなみ[#「にへなみ」に傍線]・にはなひ[#「にはなひ」に
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