また」に傍点](全)し[#「し」に傍点]と言ふ語のあることをも述べて置いた。まつる[#「まつる」に傍線]者にして、命じる者の側では、またす[#「またす」に傍線](遣・以・使遣)がある。神の代理者即、御言執行《ミコトモチ》として神言を伝達すると共に、当然伴ふ実効を収めて来る意だ。まつろふ[#「まつろふ」に傍線]が服従の義を持つのは、まつる[#「まつる」に傍線]が命令通りに奉仕する、と言ふ古義がある事を見せてゐるのである。其大部分として、「食国《ヲスクニ》の政」が重く見られてゐた為に、献るの義に傾いたのだ。とりも直さず、神の御食《ミヲ》し物を、神自身のした如く、とり収めて覆奏する事から、転じて、人間の物を神物として供へる、と言ふ用語例になつたものに違ひない。まつる[#「まつる」に傍線]の原義は、やはり、神言を代宣するのであつたらしい。
のる[#「のる」に傍線]と言ふのは、代宣者を神と同格に見て言ふ語であつた。我が国の文献時代には、まつる[#「まつる」に傍線]は既に世の中を自由にする・献る・鎮魂する・定期に来臨する神を待つて楽舞を行ふ、と言つた用語例が出来て居り、神意による公事を行ふと言ふ義は、古伝の詞章の上に固定して残つてゐたのらしい。古い祭事には「まつり」をつけて言はないのが多いのも、まつり[#「まつり」に傍線]の範囲が広かつたからである。私は「待つ・献《マ》つ・兆《マチ》」などから出たものと考へてゐた事もあるが、其等は第二義にも達せぬ遅れたものであつた。「……まつる」と文尾に始終つく処へ、まつろふ[#「まつろふ」に傍線]の聯想が加つて、自卑の語法となつて来たのだ。
八百稲千稲にひき据ゑおきて、秋祭爾奉〔牟止〕…参聚群《マヰウゴナハ》りて…たゝへ詞|竟《ヲ》へまつる……(龍田風神祭)
この「秋祭」は、今言ふ「秋祭り」ではなく、秋の献りものとして奉らむと言ふ意であらう。此などになると、覆奏・奏覧などの義から遠のいて、献上すると言ふ事になつてゐる。かうして、祭りが、幣帛其他の献上物を主とするものゝ様に考へられて来て、まつり[#「まつり」に傍線]・まつりごと[#「まつりごと」に傍線]に区別を考へ、公事の神の照覧に供へる行事を政といひ、献上物をして神慮を和《ナゴ》め、犒《ネギラ》ふ行事としてまつり[#「まつり」に傍線]を考へわけたのではなかつたらうか。
四 夏祭り
平安朝に著
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