見る処もあり、由来不明な為来りで祝ふ家々もある。此日が、真の秋の祭りを行ふ日であつたのだ。暦は冬になつても、農村では、刈り上げまでは秋であつた。冬と言はれる期間は極めて短いものであつた。おしつまつた日数に行ふ祭りの数時間を、さして言ふ語であつたのではあるまいか。
秋祭りなる新室ほかひ[#「ほかひ」に傍線]がすむと、直に翌日から春になつた。其過渡の時間が、昔の冬祭りであつた。刈り上げのあるじ[#「あるじ」に傍線]を享けに来たまれびと[#「まれびと」に傍線]が、家あるじの生命・健康・家屋の祓へをして、其上に力強い威霊を身中に密著させる。其行事が二つに岐れて、秋の新嘗祭りと冬の鎮魂祭とを二つにする様になつたらしい。
宮廷の行事では十一・十二両月に、二つまでも鎮魂の儀式を行うてゐる。即、鎮魂祭と清暑堂の神楽とである。此日を以て冬の極点としたらしい。神楽は奈良朝頃の附加である。鎮魂祭がふゆ[#「ふゆ」に傍線]と言ふ語と関係あるらしく、家屋と家長らの祓への後に、よい咒詞を以て祝福する。其が、大直日の歌の新年の寿詞になる理由である。此まれびと[#「まれびと」に傍線]の咒詞が冬を転じて、新しい春にする。此を近世では、年神・年徳神など称へてゐる。だが、其は一分化だ。春になると、一年の村の行事の祝福と示威の予行とをして、精霊たちの見せしめにした。田苑の豊かな様や、精霊の屈する様などを咒しつゝ、実演もしたのである。此が漢人の上元儀式と一つになつて、十四日・十五日或は節分・立春の行事などに変つた地方が多い。此動作が又、くり返されて田植ゑの際に行はれる。田遊びが此であつて、其|咒師《ノロンジ》の芸能と結びついたのが田楽となつた。
春祭りに来るまれびと[#「まれびと」に傍線]は神と考へられもするが、目に見えぬ霊の様にも考へられてゐる。祖先の霊と考へるのもあり、唯の老人夫婦だとおもうてゐるのもある。又多く鬼・天狗と考へ、怪物とも考へてゐる。春祭りの行事に鬼の出る事の多いのは、此為であるが、後世流に解釈して、追儺の鬼同様に逐ふ作法を加へるやうになつたが、実は鬼自身が守り主なのである。田楽に鬼・天狗の交渉のあるのも、此為である。
かうして見ると、春祭りが一等醇化せられてゐない。古い時代の姿に残つたものと言へる。だが、もう、春祭りは忘れて了うた地方が多い。



底本:「日本の名随筆44 祭」作品社

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