り、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の補綴によつてなつた「組み歌」なること、ずつと後世の世阿弥の如き専門家の手で出来た、意識的に旧叙事詩を改作・補綴したものではないかと思ふのである。
右の仮説は、今は真の仮説に止るであらう。併し、宅守・茅上相聞の歌が、創作詩でないことだけは考へねばならぬ。
[#ここから1字下げ]
我々の国に於て、異神の信仰を携へ歩いた事は、幾度であるか知れない。古く常世神・八幡神の如きが見えるのは、神道の上にも、段々の変遷増加のあつたことを示してゐるのだ。倭媛の如きも、実は日の神の教への布教者として旅を続けた人であつたのである。倭を出た神は、伊勢に鎮座の処を見出したのであつた。此高級巫女から伺はれる事実は、飛鳥・藤原の時代に既に、異教の村々を巡遊した多くの巫女のあつたことである。豊受[#(ノ)]神は丹波から移り、安菩《アホ》[#(ノ)]神は出雲から来て居る。同時に古代幾多の貴種流離譚は、一部分は、神並びに神を携へて歩いた人々の歴史を語つてゐるのである。天[#(ノ)]日矛の物語・比売許曾《ヒメコソ》の縁起は、史実と言ふより、蕃神渡来の記憶を語るものであらう。
[#こ
前へ 次へ
全20ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング