繰り畳《タヽ》ね、焼《ヤ》き亡ぼさむ 天《アメ》の火もがも(宅守相聞――万葉集巻十五)
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情熱の極度とも見える。が一方、劇的の興奮・叙事脈の誇張が十分に出てゐる。要は態度一つである。此までの本の読み方以外に、かうした態度から見ると、背景が易ると、価値も自ら変らずには居ない。悲痛な恋愛、不如意な相思、靡爛した性欲、――かう言ふ処に焦点を置くのは、民謡の常である。東歌を見れば、それはよく知れる。民謡を孕む叙事詩中の情史に、その要素が十分に湛へられて居るからである。
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過所《クワソ》なしに、関《セキ》飛び越ゆる時鳥。我が身にもがも(?)。止まず通はむ
今日もかも 都なりせば、見まく欲り、西の御厩《ミマヤ》の外《ト》に立てらまし(以上二首、宅守相聞――万葉集巻十五)
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など態度の持ち方で信頼も出来るし、不安な作為の痕をまざ/\と見る事も出来るのである。
行路の不安を思ふことはあつても、配処の苦しさや径路を述べもしない。極めて近い処に居る様な安気な気持ちを見せてゐる。
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宮人の安寐《ヤスイ》も寝ずて、今日けふと 待つらむものを。見えぬ君かも(同)
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などは恐らく旅行中に死んだ人を悼んで作つた歌らしく見える。此場合「見えぬ」は「見られに行かない」の意である。茅上娘子が隠し妻だから、宅守の家人の心持ちを思ひやつたのだとするのは、こぢつけであらう。
短歌の集団である事は、読ませる事を目的としたものらしく見える。併し、事実に於て、すべての詩形は、短歌にのり越されて来た時代である。長歌に対する反歌と言ふ様な形は、長歌に対して、片哥・旋頭歌・短歌その他が「組み」になる在来の声楽の様式の上に、外国音楽上にある反(或は乱)と言ふ様式との類似を重ねて来て出来たものである。必しも「長・反の組み」が、本式のものではなかつた。長短錯雑して居たのを、次第に整理して「長・反」様式が出来もした。一方、短歌ばかりの「組み歌」も出来た訣である。人麻呂の作と推定すべき日並知《ヒナメシ》[#(ノ)]皇子尊《ミコトノミコト》舎人歌廿三首は、舎人等の合唱に用ゐた一団の「組み」である。調子を改めて治める「反」又は「乱」と言ふ音楽上の様式は、発達しきらないで、日本音楽史では「組み歌」ばかりが全盛になつて行く
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