太とが淡島願人の中心地である。そこから出て、諸国に淡島信仰を流布し、下の病で苦しむ女を救うて歩いた。住吉明神の妻が白帯下《しらながち》にかかったのを嫌って、扉に乗せて流すと、紀州の加太に流れつき、そこに鎮座したという。だから年に一度加太から住吉に戻る式をやる。ちょうど摂津の堺が真中にあたり、ここにきて、来よう、来させまいと争う式がある。
近代の信仰では淡島はけがれて流された神である。だから二体でなく、一体でもよいのだが、それでも二体と信ぜられている。また淡島願人のもって歩くのは、雛ではない。淡島さまはどこでも、「すくなひこなの神」だというている。ともかく淡島さまは海の中の島にいる神である。だからかならず流す神にちがいない。そして願人は流す「ひひな」を集めて廻る者である。それが後に死んだ児の魂の――行きどころがない――遺したものを集めて廻るようになる。おそらく女の下の病と結びついているのだろう。地方の淡島さまは、子供のことをいわない。女ばかりで、子供から年寄まで詣る。すると下の病にかからぬと信ぜられている。
底本:「日本の名随筆 別巻81 人形」作品社
1997(平成9)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 ノート編 第五巻」中央公論社
1971(昭和46)年6月発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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