語るものは祭文というものである。祭文というても江戸、上方のとは異なり、つまり一種の叙事詩である。いまでは叙事詩を語ると、「おしらさま」が昔を思い出して踊りだすと考えているが、「おしらさま」自身が語るのである。「いたこ」はやっているうちに放心状態にはいる。「いたこ」はほとんど、託宣をしない。神がつくのではない。「いたこ」が神をつかっていると、「おしらさま」自身が踊りだす、そんなのをみると、「おしらさま」が家の生活と近くなる。家の中の納戸の隅などに祀ってあって、家のけがれをしじゅう吸収している。そのしるしに、年ごとに一枚ずつ着物を着せてもらい、「いたこ」が廻ってくると遊ばれる。してみると、この「おしらさま」というものは非常に怖れられていることがわかる。「おしらさま」の祀ってある家は旧家だというが、ちょっとのことでも祟りがあるので、非常に迷惑をする。
 考えてみると、けがれているから棄ててしまうということと、雛を飾り子供が弄ぶということの過渡期を示している。けがれをもっているのに、「いたこ」が「おしらさま」をあそばせた後、自分の詞でいう。霊感を主人に伝える。これで形代から人形になる道筋がわかる。この雛を、平安朝の物語でみると、家庭で子供が弄んでいる様子がわかる。おそらく踊らしたのであろう。
 室町になると、「ひひな廻し」が出るが、これが使うのは人形なのである。私は「くぐつまはし」という語は平安朝あたりで亡びていて、室町では既に古典であったと考える。「ひひな廻し」が諸国を歩くということは、ひひなを踊らせながら、祓えを進めてまわるのである。けがれをとって廻るのである。それがだんだん芸術的に変化してきた。その形がごく近代まで残っているのは、淡島願人である。子供の死んだ家で、着物、頭巾、人形など、子供の持っていた物をやったりする特殊な乞食である。これが古い意味の雛の信仰をもって廻った最後の者である。浅草にも淡島堂がある。淡島堂は雛を祭っているというが、そんな証拠は一つもない。雛祭りに、淡島さまに詣る江戸の信仰では、雛祭りと淡島祭りとは一つで、雛祭りの起源だというている。
 淡島は諾冊二尊の間に生まれた二番目の子で、性がわからない。これを流したということから形代の起源と考えているのだろうが、そんなに古いところでなくとも、摂津の住吉明神、紀州加太の淡島神社から出ていると思う。住吉と加
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