しての當然の解決を、多くの場合つけてゐることだ。人間の目より、もつと大きな輝きが、法律・裁判・政治・習慣の上に臨んでゐることを、はつきりどいる[#「どいる」に傍線]が書いてゐることを、さうは言つても、多くの人は知らないでゐるかも知れない。これが、近頃の野村さんの作物の、何と言ふことなく、多くの支持者をもつてゐる理由ではなからうか。其大衆性の故でなく、大衆の間にもつと正しい判斷が抱懷せられてゐることを、どいる[#「どいる」に傍線]が最|夙《ハヤ》くに示してゐたのであつた。
戰爭後|念書人《ネンシヨジン》の急場の救ひになつたのは、實際推理小説大小作家の業績であつた。極めて短い間だつたが、原書・飜譯書の自由に與へられなかつた時期が續いた。だが推理作家が勢に乘つて來て、凡、「血みどろ」「拔け穴知らず」など言ふ技術を競ふばかりで、探偵小説本來の目的など言ふことは考へても見ないやうである。
江戸川さんが、殆何も書かなくなつたのは、色々な理由の上に、更に、かう言ふ風潮に對するあきたらなさが、心を重くしつゞけてゐるのであらう。かつ/″\聞えて來る歐米の探偵物の傾向が、かう言ふ風を益助長した爲に、現實と探偵小説は非常に離れて來た。これは今の中に、何とかしてなければならない世界的の事實らしい。事實じようだんぢやない[#「じようだんぢやない」に傍点]と言はずに居られないやうな殘虐や、詭計がみなぎつてゐる。實際かういふ小説の愛讀者は、木々さんの持説のやうに、推理が文學から逸出しても、問題にしない癖がついてゐる。だから何處までゆくか限度が知れない。若い時代の我々が、どいる[#「どいる」に傍線]に微かな感謝を抱いてをつたのは、間違ひではない。時々これがまあどいる[#「どいる」に傍線]かと思はれるやうな血の小説もあるが、同時に多く彼は甚屡、神の如き反省をしてゐる。
神だつて人を憎む。寧、神なるが故に憎むと言つてよい。人間の怒りや怨みが、必しも人間の過誤からばかり出てゐるとは限らない。而も度々、おそらく一生のうちに幾度か、正當な神の裁きが願ひ出たくなる。かう言ふ時に、ふつと原始的な感情が動くものではないか。多くの場合、法に照して、それは惡事だと斷ぜられる。併し本人はもとより彼等の周圍に、その處斷を肯《ウベナ》はぬ蒙昧な人々がゐる。かう言ふ法と道徳と「未開發」に對する懷疑は、文學においては大きな問題
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