れます。或は一つの流れから岐れた二つの枝川かとも考へます。
わたしどもには、歴史と伝説との間に、さう鮮やかなくぎりをつけて考へることは出来ません。殊に現今の史家の史論の可能性と表現法とを疑うて居ます。史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、小説か或は更に進んで劇の形を採らねばならぬと考へます。わたしは、其で、伝説の研究の表現形式として、小説の形を使うて見たのです。この話を読んで頂く方に願ひたいのは、わたしに、ある伝説の原始様式の語りてといふ立脚地を認めて頂くことです。伝説童話の進展の径路は、わりあひに、はつきりと、わたしどもには見ることが出来ます。拡充附加も、当然伴はるべきものだけは這入つて来ても、決して生々しい作為を試みる様なことはありません。わたしどもは、伝説をすなほに延して行く話し方を心得てゐます。
俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱりしんとくまる[#「しんとくまる」に傍点]が正しからうと思ひます。身毒丸の、毒の字は濁音でなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。
わたしは、正直、謡曲の流よりも、説教の流の方が、たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたい
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