である。小さな者らは、時々立ち止つて、山の腰から泌み出てゐる水を、手に受けためては飲んだ。さうして隔つた人々に追ひすがる為に、顔をまつか[#「まつか」に傍点]にしては、はしり/\した。
国見山をまへにして、大きな盆地が、東西に長く拡つてゐた。可なりな激湍を徒渉りして、山懐に這入ると、瀁田に代掻く男の唄や、牛の声が、よそよりは、のんびりと聞えて来た。其処は、非御家人の隠れ里といつた富裕な郷であつた。
瓜生野の一座は、その郷士の家で手あついもてなしを受けた。源内法師は、すぐ明日の踊りの用意にかゝる。力強い制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦は、屋敷の隅の納屋から榑材などをかつぎ出すその家の下部らに立ちまじつて、はたらいてゐる。
身毒は、広々とした屋敷うちを、あちらこちらと歩いて見た。
それは、低い田居を四方に見おろす高台の上を占めて、まんなかにちよんぼりと、百坪あまりの建て物がたつてゐるのであつた。
広くつき出した縁の上には、狐色に焦れて、田舎びた男の子や、女の子が十五六人も居て、身毒らの着いた時分から、きよと/\、一行の容子を見瞻つてゐた。彼らの目色には、都人の羨しさを跳ねかへす妬み憎み、其から異郷人に対する害心と侮蔑とに輝いてゐる。若い身毒は、何処へ行つても、かうした瞳に出会うた。さうして、かうした度毎に、身の窄まる思ひがした。
子どもたちは、やがて、外から見え透く広い梯子を伝うてつし[#「つし」に傍点]の上にあがつて行つた。
一行の為に、南開きの、崖に臨んだ部屋が宛てがはれた。
源内が、家のあるじに挨拶に行つた間を、ひろ/″\と臥てゐた人たちの中で、ぽつゝりと一人坐つてゐた、彼を見とがめた一人が、どうしたのだと問うた。
どうもしない、と応へるほかには、いふべき語がわからない心地に漂うてゐたのである。
がらんとした家の中は、遠くから聞えて来る人声がさわがしく聞えた。子どもらは、いろんな聞きも知らぬ唄を、あどけない声で謡うてゐる。身毒は、瓜生野の家を思うた。しかし女気のない家の中に、若い男や中年の男が、仮に宿つてゐるといふだけで、かうした旅の泊りとちがうた処がないのだ、といふ心持ちが、胸をたぐるやうに迫つて来る。
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くたびれた/\。おや、身毒。おまへも居たのか。おまへはいつも、わるい癖ぢやよ。遠路をあるくと、きつと其だ。なんてい不機嫌な顔をする。
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身毒は、黙つてゐることが出来なかつた。
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わしは、今度こそ帰つたら、お師匠さんに願うて、神宮寺か、家原寺へ入れて貰はうと思うてる。
おい、又変なこと、言ひ出したぜ。おまへ、此ごろ、大仙陵の法師狐がついてるんかも知れんぞ。
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今迄鼾を立てゝゐた制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦が寝がへりをうつて顔を此方へ向けた。年がさの威厳を持つたらしいおつかぶせる様な声である。
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さうだとも/\。師匠のお話では、氷上で育てた弟子のうちにも、さういふ風に、房主になりたい/\言ひづめで、とゞのつまりが、蓮池へはまつて死んだ男があつたといふぜ。死神は、えて[#「えて」に傍点]さういふ時に魅きたがるんだといふよ。気をつけなよ。
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又、一人の中年男が、つけ添へた。
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おまへらは、なんともないのかい、住吉へ還らんでも、かうしてゐても、おんなじ旅だもの。せめて、寺方に落ちつけば、しんみりした心持ちになれさうに思ふのぢやけれど。
あほうなことを、ちんぴらが言ふよ。瓜生野が気に入らぬ。そんなこと、おまへが言ひ出したら、こちとらは、どうすればよい。よう、胸に手置いて考へて見い、師匠には、子のやうに可愛がられるし、第一ものごゝろもつかん時分から居馴れてるぢやないか。何を不足で、そんなことを言ひ出すのだ。
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と分別くさい声が応じた。
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けれどなあ、かういふ風に、長道を来て、落ちついて、心がゆつたりすると一処に、何やらかうたまらんやうな、もつと幾日も/\ぢつとしてゐたいといふ気がする。
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熱し易い制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦は、もう向つぱらを立てゝ、一撃を圧しつける息ごみでどなつた。
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何だ。利いた風はよせ。田楽法師は、高足や刀玉見事に出来さいすりや、仏さまへの御奉公は十分に出来てるんぢや、と師匠が言はしつたぞ。田楽が嫌ひになつて、主、猿楽の座方んでも逃げ込むつもりぢやろ。
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煮え立つやうな心は、鋭い語になつて、沸き上つた。身毒は、其勢にけおされて、おろ/\としてゐる。あひて[#「あひて」に傍点]の当惑した表情は、
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