迦陵頻迦のやうな声が澄み徹つた。をり/\見上げる現ない目にも、地蔵菩薩さながらの姿が映つた。若い女は、みな現身仏の足もとに、跪きたい様に思うた。けれども身毒は、うつけた目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声にほれ/″\としてゐた。ある回想が彼の心をふと躓かせた。彼の耳には、あり/\と火の様なことばが聞える。彼の目には、まざ/″\と焔と燃えたつ女の奏が陽炎うた。
踊り手は、一様に手を止めて、音頭の絶えたのを訝しがつて立つてゐた。と切れた歌は、直ちに続けられた。然しながら、以前の様な昂奮がもはや誰の上にも来なかつた。身毒は、歌ひながら不機嫌な師匠の顔を予想して慄へ上つてゐた。……あちらこちらの塚山では寝鳥が時々鳴いて三人を驚かした。思ひ出したやうに、疲れたゞの、かひだるいだのと制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦が独語をいふ外には、対話はおろか、一つのことばも反響を起さなかつた。家へ帰ると、三人ながらくづほれる様に、土間の莚の上へ、べた/″\と坐り込んだ。
源内法師は、身毒の襟がみを把つて、自身の部屋へ引き摺つて行つた。
身毒は、一語も上つて来ないひき緊つた師匠の脣から出る、恐しいことばを予想するのも堪へられない。柱一間を隔いて無言で向ひあつてる師弟の上に、時間は移つて行く。短い夜は、ほの/″\あけて、朝の光りは二人の膝の上に落ちた。
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芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。
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かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。
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さあ、これを血書するのぢやぞ。一毫も汚れた心を起すではないぞ。冥罰を忘れなよ。
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身毒はこれまでに覚えのない程、憤りに胸を焦した。然しそれは師匠の語気におびき出されたものに過ぎない。心の裡では、師匠のことばを否定することは出来なかつた。経文を血書してゐる筆の先にも、どうかすると、長者の妹娘の姿がちらめいた。あるときは、その心から妹娘を攘ひ除けたやうな、すが/\しい心持ちになることもある。然しながら、其空虚には朧気な女の、誰とも知らぬ姿が入り込んで来た。最初の写経は、師の手に渡ると、ずた/\に引き裂かれて、火桶に投げ込まれた。身毒は、再度血書した。それが却けられたときに、
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