て了うて居る。田圃路を案内しながら、信仰の今昔を説かれた、ある村のある社官の、寂し笑みには、心の底からの同感を示さないでは居られなかつた。
其神職諸君に、此上の註文は、心ない業と、気のひける感じもする。けれども、お互に道の為、寂しい一本道を辿り続けて居る身であつて見れば、渋面つくつてゞも此相談は聴き入れて貰はねばならぬ。世間通になる前に、まづ学者となつて頂きたい。父、祖父が、一郷の知識人であつた時代を再現するのである。私ども町方で育つた者は、よく耳にした事である。今度、見えた神主は、どう言ふ人か。かうした問ひに対して、思ふつぼ[#「つぼ」に傍点]に這入る答へは、いつも「腰の低いお人だ」と言ふのであつた。明治も、二・三十年代以後の氏子は、神職の価値判断の標準を、腰が低いと言ふ処に据ゑて居た。かう言ふ地方も、随分ある。一郷を指導する知識の代りに、氏子も、総代の頤の通りに動く宮守りを望んで居たのである。
かうした転変のにがり[#「にがり」に傍線]を啜らされて来た神職の方々にとつては、「宮守りから官員へ」のお据ゑ膳は、実際百日|旱《ひで》りに虹の橋であつた。われひと共に有頂天になり相な気がする。併し、ぢつと目を据ゑて見廻すと、一向世間は変つて居ない。氏子の気ぐみだつて、旧態を更めたとは見えぬ。いや其どころか、ある点では却つて、悪くなつて来た。世の末々まで見とほして、国家百年の計を立てる人々には、其が案ぜられてならなくなつた。閑却せられて居た神人の力を、借りなければならぬ世になつたと言ふ事に気のついたのは、せめてもの事である。だが、そこに人為のまだこなれきらぬ痕がある。自然にせり上つて来たものでないだけ、どうしても無理が目に立つ。我々は、かうした世間から据ゑられた不自然な膳部に、のんき[#「のんき」に傍線]らしく向ふ事が出来ようか。何時、だしぬけに気まぐれなお膳を撒かれても、うろたへぬだけの用意がいる。其用意を持つて、此潮流に乗つて、年頃の枉屈を伸べるのが、当を得たものではあるまいか。当を得た策に、更に当を得た結果を収めようには、懐手を出して、書物の頁を繰らねばならぬ。
「神社が一郷生活の中心となる」のは、理想である。だが、中心になり方に問題がある。社殿・社務所・境内を、利用出来るだけ、町村の公共事業に開放する事、放課・休日に於ける小学校の運動場の如くするだけなら、存外つまら
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