肌違ひの所があるが、おなじ国学院の人々の中でも、細部に亘つては、又各多少の相違があつて、突き詰めて行くと、一々違つた考へ方の上に、立つてゐる事になるのである。
しかし、概して言ふと、今日の神道研究の多くは、善い点ばかりを、断篇的に寄せ集めたものである。どうも、此ではいけない。我々現代人の生活が、古代生活に基調を置いてゐるのは、確かな事実であるが、其中での善い点ばかりを抽き出して来て、其だけが、古代の引き継ぎであるとするのは、大きな間違ひであつて、善悪両方面を共に観てこそ、初めて其処に、神道の真の特質が見られよう、と云ふものである。私は、日本人としての優れた生活は、善悪両者の渾融された状態の中から生れて来てゐるのである、と思ふ。
今日でも、沖縄へ行くと、奈良朝以前の上代日本人の生活が、殆ど如実に見られるが、其処には深い懐しさこそあれ、甚むさくるしい部分もあるのである。若し上代の生活が、こんな物だつたとすれば、若い見学旅行の学生などには、余り好ましくない気がして、日本人の古代生活は云々であつた、といふ事を大声で云ふのは気耻づかしく感ずるであらう、と思ふ程である。しかし、其が真の古代生活であ
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