に解ける。かういふ処から考へると、何れも根本から分化して、各違つた用語例を持つ様になつたのであつて、其が大体、後世の合理解を経て――民間語原は固より、学者の研究も――即、最小公倍数式に、帰納して定められたのではあるまいか。万葉などを基礎にして考へると、どうも此語は、時代人によつて、訣らぬまゝに使はれてゐるらしい。或類型的な祭りとか、其他の類似の行事のときには、かういふ言葉を使はねばならぬものとして、只、無意味に使つてゐるのである。
私の解釈に依ると、この対句は、何れも、高所から垂下してゐる、飾り縄を意味するもので、かげ[#「かげ」に傍線]とは、元来、蔓草である。だから其が、宮殿を褒める時の詞とか、新室ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の時の詞として、使はれてゐるのである。そこで、此が転じて来ると、宮殿其ものゝ意味ともなり、又更に転じては、ある解釈に於ける、穆々たる文王といつた、ほのぐらい処に奥深くいます、といふ意味にもなるのである。前にも述べた通り、万葉では此が、影うつす水の意味に転じてゐる。
かうなると、語意が浮動して来て、解釈がつかなくなつて来るが、段々研究を推し進めて行つて見ると、此歌は、宮殿の居まはりの山を讃め、水を讃める古い意味の風水――墓相でなく――をうたつた歌であるらしい。此は家を讃める事から来る当然の帰結であつて、家を讃める事は同時に、家主の生命を讃める事であり、又同時に、生命の本源として、魂として、家主の腹中に入る水を褒める事であるからである。高い新築家屋の屋根から、垂下してゐる飾り縄が、水の意味に成つたといふ事も、かういふ風に観て来れば、少しの不思議もないのである。
橘守部の痛快に解釈した「大王《オホギミ》の御寿《ミイノチ》は長く天《アマ》たらしたり」の歌なども「天之御蔭・日之御蔭」といふことが、類型的の表現になつてゐる為に、其間に、綱の事を云ふのを忘れて了うてゐるのである。そんな事をこくめいに云はずとも、漠然たる常套的の感じを誘ふ詞章で、天子の齢を祝福する事が出来るからである。其外に又、出雲国造神寿詞の「天乃美賀秘」――秘の字は、相変らず疑問――は、頭に冠るかつら[#「かつら」に傍線]の事であつて、此も畢竟、播磨風土記などに見えた、兜の類に言うたかげ[#「かげ」に傍線]であるが、普通の天之御蔭・日之御蔭とは、大分用ゐ方が違つてゐる。
とにかく、かうい
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