事であつて、其唱へ言の部分が祭りである、と見れば、食国の政といふ事が、よく訣るのである。即、言ひ換へれば、みこともち[#「みこともち」に傍線]をして来た、其言葉を唱へるのがまつり[#「まつり」に傍線]で、其結果を述べる再度の儀式にも、拡張したものだ。其が中心になつてゐる行事が、祭り事なのである。やまとたけるの[#「やまとたけるの」に傍線]尊の東国へ赴かれた時の「まつりごと」の意味も、此で立派に訣ると思ふ。
ところが、後には、其祭事が段々政務化して来て、神に生産品を捧げる祭りと離れて、唱へ言を省く様になつた。併し、根本は殆ど変らないのであつて、こゝまで来ればみこともち[#「みこともち」に傍線]の思想は、まだ/\展開して行つて、此が逆に、隠居権や下尅上の気質を生んだのだ。
次には、少し方向を変へて見たい。
みこともち[#「みこともち」に傍線]をする人が、其言葉を唱へると、最初に其みこと[#「みこと」に傍線]を発した神と同格になる、と云ふ事を前に云つたが、更に又、其詞を唱へると、時間に於て、最初其が唱へられた時とおなじ「時」となり、空間に於て、最初其が唱へられた処とおなじ「場処」となるのである。つまり、祝詞の神が祝詞を宣べたのは、特に或時・或場処の為に、宣べたものとみられてゐるが、其と別の時・別の場処にてすらも、一たび其祝詞を唱へれば、其処が又直ちに、祝詞の発せられた時及び場処と、おなじ時・処となるとするのである。私は、かういふ風に解釈せねば、神道の上の信仰や、民間伝承の古風は訣らぬと思ふ。
さすがに鈴木重胤翁は、早くから幾分此点に注意を払つてゐる。私が、神道学者の意義に於ける国学者の第一位に置きたいのは、此為である。大和といふ国名が、日本全体を意味する所まで、拡がつた事なども、此意味から、解釈がつきはすまいか。「大倭根子天皇」といふのは、万代不易の御名で、元朝の勅にも、即位式の詔にも、皆此言葉が使はれてゐたが、此は云ふ迄もなく、やまと[#「やまと」に傍線]の国の、最高の神人の意味である。山城根子・浪速根子・大田々根子等の根子と一つである。そして、其範囲の及ぶ所は、最初に大和一国内であつたのが、後には段々拡がつたので、大和朝廷の支配下であるから、日本全国が「やまと」と呼ばれたのではなく、大日本根子天皇としての祝詞の信仰の上から、来てゐるのである。だから、山城に都が遷つても
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