と斎部氏との社会的位置が同じであつた、といふ事からして、誤りである。斎部氏は最初から、決してみこともち[#「みこともち」に傍線]ではなかつたのである。謂はゞ、山祇のみこともち[#「みこともち」に傍線]といふ事になりさうに思ふ。ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]の基礎になるいはひごと[#「いはひごと」に傍線]を、伝誦する部曲及び伴造であつたので、天子の代宣者とは言へないのである。古典研究者の資料鑑別眼が、幾ら進んでも、心理的観入の欠けた研究態度を以て、科学とする間は駄目だ、と思ふ。さういふ訣で、天子のみこともち[#「みこともち」に傍線]は、中臣氏である。だが、此は、根本に於ての話である。
広い意味に於ては、外部に対して、みこと[#「みこと」に傍線]を発表伝達する人は、皆みこともち[#「みこともち」に傍線]である。諸国へ分遣されて、地方行政を預る帥・国司もみこともち[#「みこともち」に傍線]なれば、其下役の人たちも亦、みこともち[#「みこともち」に傍線]として、優遇せられた。又、男のみこともち[#「みこともち」に傍線]に対して、別に、女のみこともち[#「みこともち」に傍線]もある。かういふ風に、最高至上のみこともち[#「みこともち」に傍線]は、天皇陛下御自身であらせられるが、其が段々分裂すると、幾多の小さいみこともち[#「みこともち」に傍線]が、順々下りに出来て来るのである。
此みこともち[#「みこともち」に傍線]に通有の、注意すべき特質は、如何なる小さなみこともち[#「みこともち」に傍線]でも、最初に其みこと[#「みこと」に傍線]を発したものと、尠くとも、同一の資格を有すると言ふ事である。其は、唱へ言自体の持つ威力であつて、唱へ言を宣り伝へてゐる瞬間だけは、其唱へ言を初めて言ひ出した神と、全く同じ神になつて了ふのである。だから、神言を伝へさせ給ふ天皇陛下が、神であらせられるのは勿論のこと、更に、其勅を奉じて伝達する中臣、その他の上達部――上達部は元来、神※[#「广+寺」、151−14]《カムダチ》部であつて、神※[#「广+寺」、151−14]に詰めてゐる団体人の意である――は、何れも皆、みこともち[#「みこともち」に傍線]たる事によつて、天皇陛下どころか直ちに、神の威力を享けるのである。つまり、段々上りに、上級のものと同格になるのである。
此関係は、ずつと後世にまで、伝
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