其が、日本人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである。私は此意味で、凡日本民族の古代生活を知らうと思ふ者は、文芸家でも、宗教家でも、又倫理学者・歴史家でも皆、呪詞の研究から出発せねばならぬ、と思ふ。
処が、其呪詞の後なる祝詞なるものさへ、前にも云つた如く、今日の頭脳では、甚難解なことが多い。鈴木重胤などは、ある点では、国学者中最大の人の感さへある人で、尊敬せずには居られぬ立派な学者であるが、それでも、惜しい事には、前人の意見を覆しきれないで、僅かに部分的の改造に止めた様であつた。そこで、訣らぬ事が沢山に出て来る。
まづ祝詞の中で、根本的に日本人の思想を左右してゐる事実は、みこともち[#「みこともち」に傍線]の思想である。みこともち[#「みこともち」に傍線]とは、お言葉を伝達するものゝ意味であるが、其お言葉とは、畢竟、初めて其宣を発した神のお言葉、即「神言」で、神言の伝達者、即みこともち[#「みこともち」に傍線]なのである。祝詞を唱へる人自身の言葉其ものが、決してみこと[#「みこと」に傍線]ではないのである。みこともち[#「みこともち」に傍線]は、後世に「宰」などの字を以て表されてゐるが、太夫をみこともち[#「みこともち」に傍線]と訓む例もある。何れにしても、みこと[#「みこと」に傍線]を持ち伝へる役の謂であるが、太夫の方は稍低級なみこともち[#「みこともち」に傍線]である。此に対して、最高位のみこともち[#「みこともち」に傍線]は、天皇陛下であらせられる。即、天皇陛下は、天神のみこともち[#「みこともち」に傍線]でお出であそばすのである。だから、天皇陛下のお言葉をも、みこと[#「みこと」に傍線]と称したのであるが、後世それが分裂して、天皇陛下の御代りとしてのみこともち[#「みこともち」に傍線]が出来た。それが中臣氏である。
古語拾遺は、其成立の本旨から見ても知れる如く、斎部広成が、やつき[#「やつき」に傍点]となつて、中臣・斎部の同格説を唱へてゐるが、私は元来、あの古語拾遺に余り重きを置いてゐない。古い事を研究するのには、あまり大切なものとは思へぬ。尠くとも、私の研究態度には、足手纏ひにこそなれ、あまり役立つて来てゐない事を告白する。私は、あの中には、確に、後世的の合理説が這入つてゐる、と思ふ部分が多いのであるが、そんな事は第二として、抑《そもそも》、中臣氏
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