#「うくわい」に傍線](迂回)して行きや、ぢつきせいはん[#「せいはん」に傍線](製板小屋)が見えるがのし」
此は、五十恰好の木樵りが大台ヶ原の山中で、道を教へてくれた時の語です。国語教育家は前代の人々に対して、どう申しわけがあると思ふのでせう。私は、国語調査会の事業が、なぜ此方面に伸びて行かないのかを訝しみます。漢字制限の申し合せは、確かによい結果を生みませう。併し、責任者自身すぐに実行にうつらないのはどうした事なのです。新聞記者は、気移り目移りの早い人々です。今暫らくは、むづかしい字を仮名に改めるしち[#「しち」に傍点]面倒を堪へて居てもぢきに元に戻ります。世間は、誰も仮名で隈なく表される語を使はうとはしないのですもの。
仮名づかひの為に、時間を空費する事も、心配は心配ですが、でも、此方に比べれば、消極的の事です。私どもの祖先からの語は、どん/\死語として、辞書の鬼籍に入つて行きます。其に替るものが、どし/\漢字典から掘り出されてくる木乃伊であるのをどう見てゐるのでせう。稀に国語的発想に従つたものも、徳川時代の色町から出た語よりも、すさんだ[#「すさんだ」に傍点]気持ちを持つてゐるのは情ないなあと言つた詠歎だけではすまされない、積極の努力を要する問題です。
国語の運命を支配する位置にゐる官庁や、団体が、見てくれのはでやかさ[#「見てくれのはでやかさ」に傍点]を喜ぶ傾向のあるのは、国民生活を思ふ人の為事としては、寂しすぎる事ではありませんか。
近年盛んになつた芸術教育は結構な事です。けれども、どれだけの自覚から出てゐるかになると、甚しく気が細ります。芸術教育の国民生活に滋味を与へる事が、造語能力の増進と言ふ処まで伸びなければ、嘘だと思ひます。
略語発想を例にとつて見ませう。昔なら、商工業の人々が、近江屋六兵衛だから近六、大工の金蔵だから、てんぷら[#「てんぷら」に傍点]屋の五作だから、大金・天五と言ふ類のものはありました。けれども、士君子と言つた意識を持つた人々からは、見さげられてゐた称へなのです。だから、水野越前守をば「水越」と呼ぶ事に、極端な憎悪と侮蔑とを吹き込めて居たのでした。其がどうでせう。帝展・院展・帝大・一高などはまだよい方です。満鉄などは、若い人には、其が南満洲鉄道の略語と言ふ事すらも見当がつかなくなつて居るやうなあり様なのです。此国民的悪癖は、どう
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